3人が本棚に入れています
本棚に追加
あれからいろんなバイトをかけもちした。汚れた仕事は、高いお金を払っても誰もやりたがらない。子供の僕でも、簡単に雇ってもらえた。
朝6時から12時まで道路の掃除。13時から18時まで高層ビルの掃除。17時から23時まで美術館の警備。夜中の12時から3時まで地下倉庫の見張り。毎日フラフラになりながら、お金を返すために働いていた。世間は働く人に厳しく、子供にも容赦がない。
タツ兄さんはそんな僕の様子に気づいて、「借金のことはいいから、無理するな」と言ってくれたけど、やめるわけにはいかなかった。
今日も朝から道路掃除か。ここ数日、まともに寝ていない。重い腰をもちあげ、玄関に向かう。「もう行くの?」というタツ兄さんの声を他人事のように聞きながし、扉を開けた。
日光が目の前をかすめる。わあ、なんて綺麗なんだろう。それにあったかい。天使の梯子が僕に降り注いでいる。空は白い。そこで、みんな歌っている。ああ、楽しそうだな。僕もあそこに行ってみたい。みんなと、歌って、みたい。
ゆっくりと地面に落ちていく。タツ兄さんの声が聞こえる。あれ、カラダがウゴカナイ。ぼく、ドウシチャッタンダロウ。
そのまま、ぼくの感覚は遠くなった。
『留衣。
あなたは自分のやりたいことに自信をもって。
あなたなら、きっと叶うから』
一面に広がるひまわり畑。ぼくはなにかに夢中になっている。
ひとりの女性が腕をひろげた。逆光で顔はよく見えないけど、その人と一緒にいると安心する。ぼくは彼女の胸にとび込んだ。夏のラベンダーの香りがする。
もう、どこにもいかないで。——————。
涙が頬を伝う。今のはなんだろう。あの女性は誰だったんだろう。もしかしたら、あれは僕の記憶だったのかもしれない。太陽のように暖かく、月のように美しい。それを僕は失くしてしまったんだ。
醒めない頭の中。ぼんやりと天井を見つめた。
「あっ、るい!気がついてよかった。覚えてる?きみ、外で倒れたんだよ」
心配そうに顔を覗きこんできたタツ兄さん。ああ、ぼく、また失敗したんだ。
「ごめん。僕がちゃんと止めるべきだった。そしたら、こんなことにはならなかったのに」
声が震えていた。よく見ると目が充血している。もしかして、泣いていた?
「きみに何かあってからじゃ遅い。本当は言うか迷ったけど、ちゃんと説明するよ。あの絵、きみは、僕が借金をかえすために売ろうとしていると思っているんだろ?・・・それは違う。もともと、あの絵は売るつもりでいたんだ。掃除屋の経営が厳しくてね。十分に給料を与えられるような資産がなかったんだよ。それに、この世界で働こうとする人は少ない。みんなお金持ちだからね。・・・父さんと母さんも、この絵を売るようにと遺言書を残していた。だけど僕は、決断することができないまま、ずっと持ち続けたんだ。そんなことしても、辛いだけなのに」
棚の上におかれた家族団欒の写真。きっと、彼の両親は息子の幸せを願って、絵を売るようにいったのだろう。彼が過去にとらわれないように、自分の幸せを歩めるように。
「るいには、本当に感謝しているんだ。きみが毎晩、大切な宝石を磨いて前に進もうとしているのを見て、このままじゃダメだと思ってた。・・・今回の件は、いいきっかけだよ。僕が前に進むための勉強代。そこから、始まるから」
タツ兄さんの頬が輝いて見えた。そう言って笑える彼は、やっぱり強いと思う。テレビの黒い画面が、僕の姿を映す。色がない僕の顔。本当の自分を見つけた時、僕はタツ兄さんのように笑えるんだろうか。
『留衣、そろそろ時間ですよ』
あの人の声と同時に、瞼が重くなった。
タツ兄さんの声は、もう聞こえない。
最初のコメントを投稿しよう!