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その手が、差し伸べられる。
それが、どのようになっているかが、問題なのだ。
ほしいといったらくれるけど
くれろといわれちゃ、やるしかあるめえ
てをむすんでおられりゃあ、もらえるが
てをひらげられたらもらわれる
こわや、こわやのおやくめさまよ
どうか、しずめてくださんせ
あんたのほしいもん、あげる
わたしのほしいもん、くれろ
【オヤクメサマ】
せんせい、【これ】ってなんだかわかりますか?
そんな風に口火を切って話されたのは、ある女子大生の生まれ故郷にまつわる習わしだった。
私は●●大学の民俗学の教授をしている沖田佑蔵という男だ。
民俗学、と言っても定義は多岐に渡るのだが、私は主にその土地の伝承や、それにまつわる怪奇の話を集めるのを趣味としても、生業としてもやっていたくちで、つまりはマニアだとか、オタクと呼ばれる人種と言ってもいい。
本をこれまでに二冊出した。評判はその筋には良いがその評判が売上に直結しないのが難である。ただし、金や損得でやめれるかと言われれば、やめないと言わざるを得ないので、今日も与えられた小さな部屋で資料を漁っていると、ノックが聞こえて、女子大生が訪れた。
彼女の名前は井上美和子といって、非常に美しく、聡明な女性である。私の民俗学の授業や、勉強会にも顔を出す優秀な学生だった。
「先生、今よろしいでしょうか?」
「ああ、珍しいね井上君。うん、もちろんだよ。入ってきたまえ」
「ありがとうございます」
そう言って彼女が頭を下げて入ってきたのは夏休みに入る、三日前の事だった。
「先生、私の育った村は特殊だったんです。……本当は帰りたくないんですけど……お前も二十歳になるから、祝いをもらわなきゃならない。だから帰ってきなさいって本家の人が……」
「本家の人?」
「はい。私の村は全員井上の姓なんですけど、その中でも本家様はその井上に大がつく、大井上って姓なんです。それで、東京に七年前に母と村から出てきたっていうか逃げてきたんですけど……あの人たちを本気で怒らせたら父がどうなるか……」
「え、どういうことなの?」
余りの浮世離れした話に私が驚いて口を開くと、彼女はじっ、と私を見つめてこう言った。
「せんせい、【これ】ってなんだかわかりますか?」
……私の村は、とても小さな村です。名前を八手村やつでむらと言います。八手村は■■県のS市の駅から車で二時間程行った場所にあります。村人全員が農業や林業を営んでいますが、みんな姓が井上で、その名の通りみんな、親戚同士です。その中でも村の中心に建っている大きな屋敷に住む一族の性は大井上と言って、井上一族の本家に当たります。彼等は昔から姓のある豪農で、私達は同じ血を汲んでいますが、姓のない小作人だったと言います。ですからこんな、2000年代になっても大井上家には絶対で、逆らえません。
私は、村民が200人くらいしかいない時代に生まれました。父は大井上家で召使筆頭をしていました。母は大井上家で台所係でした。村民達の仕事は農夫か、林業しかほぼないのですが、大井上家で召使になるということは物凄く誇りのある仕事でしたし、お給料も非常に良かったのだと思います。父は私が生まれた時、三十五歳だった、と聞いたことあります。
父も、母もとても良い人達でした。
父は東京の大学へ行き、ラグビーなどをやっていて、本当は日本代表などに選ばれたそうですが、大井上家が「お前の息子は東京の大学まで行ったのだからもう、良かろう。後の人生は村の為に尽くせ」とこのように父の両親に告げたので、泣く泣く父は東京から帰ってきましたが、その時には同級生だった母が一緒だったそうです。東京のお嬢さん、しかも大学まで出た賢いおじょうさんを連れて帰ってきた、ということが評判になって父は大井上家に仕える事になり、母もお手伝いさんとして台所係になりました。そのせいか、私は村の中でも裕福な暮らしができていたように思うのです。
私が生まれたのは、両親が結婚してから十年後の事でした。
長い事子供が授からなかった両親が突然授かったのには理由があります。
私が生まれる五年前に、新しい【オヤクメサマ】が生まれたからなのでした。
「オヤクメサマ?」
私は思わず井上君の話をさえぎって、その聞き慣れぬ単語を口にした。すると彼女は頷いて、言った。
「オヤクメサマ、って言ってました。多分、役目って言葉にお、をつけて【オヤクメサマ】なんだと思います」
「それは、一体なんなんだね?」
「子供です」
「子供」
「多分……ですけど。大井上家はあまり分家と親しくしないので詳しくは解らないんですが。大井上の人たちは私達より随分綺麗な顔立ちをしています。それに、肌も、白いのですが……」
「ですが?」
「オヤクメサマは髪も白いんです。目も赤くて。で、そういう子供が生まれると、【オヤクメサマ】が産まれたっていって、その子は村人の願いを聞いてくれるっていうんです」
「ははあ。なるほど」
おそらく、と私は思った。
アルビノの子を神の子や、忌み子として扱う地域があるのを私は知っていたので深く頷いた。
「それはただの、アルビノの子供だね。それを神格化する習わしが君の村にはあったのか」
「違うんです」
井上君は、はっきりとした口調で言った。
「違う?」
私が問うと、井上君は頷いて、答えた。
「ただのアルビノの子、なんかじゃありません。【オヤクメサマ】……ううん、陽一くんは。本当に願いを叶えてくれるんです」
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