オヤクメサマ

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だが、それは時々なのだと言う。井上君は椅子に座り、私が渡したペットボトルの水で喉を潤してから続きを話した。 私が物心ついた時には陽一君は【オヤクメサマ】と呼ばれていました。可愛い子だったと思います。小さな村でしたから、子供は余りいませんでしたし、【オヤクメサマ】を怖がる人もいましたので、私は自然、【オヤクメサマ】……ううん、陽一君の遊び相手でした。私のお父さんとお母さんは、陽一君が不思議な力を持っていても、普通の子として扱いました。 ただ、他の人たちは違います。 「お金が欲しい」 「車が欲しい」 「健康な体が欲しい」 色んな理由で【オヤクメサマ】を訪れます。不思議な事に、【オヤクメサマ】にお願いをすると、大なり小なりはありますが。願いは叶うのです。 【オヤクメサマ】という言い伝えはありましたが、本当にそんな子が生まれたのは50年ぶりのことだったと聞きました。なぜ。どうして。それは解りませんが、決まりはありました。 ひとつ。【オヤクメサマ】が欲しいといったものは上げなければならない。 ひとつ。【オヤクメサマ】を村から出してはいけない。 ひとつ。【オヤクメサマ】のことを村民以外に話してはいけない。 そうなんです。私が先生に【オヤクメサマ】のことを話すのは禁忌タブーなんです。でも、私。 「父を助けたいんです」 井上君がまっすぐに私を見つめた。とても、綺麗な子だ。私は思わず見惚れてしまってから慌てて目を逸らしながら、聞いた。 「お父さんがなんだって?」 「父を、助けたいんです先生。私の父を助けてくれませんか?」 「どういうこと」 「父は、オヤクメサマに「ほしい」と言われてしまったんです」 「それは……。ほんとう?」 「はい」 井上君の眉間に皺が寄る。唇を噛みしめながら私を見つめた。 「私のお父さんは、オヤクメサマに囚われたままなんです」 私のお父さんは大井上家の召使筆頭でした。召使筆頭というのは、大井上家で働いている人達をまとめる役目のことです。お父さんはとても優しい人でした。ラグビーをやっていたので大きな体で、一見するととても怖いイメージなのですが、そんなことは暫くお父さんと話していると違う事が簡単に解るはずです。人の話を辛抱強く聞いて、最後には人に信頼され、慕われる人だったように思います。 だから。 陽一君もお父さんのことが大好きになったんだと思います。 陽一君が赤い産着を出してから、八手村は大騒ぎになりました。 「オヤクメサマだ、本物のオヤクメサマだ」 皆が大井上家につめかけました。でも、大井上家は滅多にオヤクメサマに願いを叶えさせようとはしませんでした。例えば村に貢献した者、村の為に利益をもたらした者。そんな人たちしかオヤクメサマに願いを叶えてもらえなかったと言います。お父さんは私が小さい時にこう言ったことがあります。 「お父さんはオヤクメサマに願い事を二つも叶えてもらったからな……。なにか返さなきゃならない気がするんだ。それが、返しきれるものだったらいいんだが……」 「返すって?だって、オヤクメサマはくれるんでしょう?お父さんは頑張っているからオヤクメサマがご褒美をくれたのよ」 「美和子」 ある時、私が呑気な事を言うと、お父さんが珍しく怖い顔をして私の名前を呼びました。 「オヤクメサマはな、時には欲しがる時もあるんだぞ」 「欲しがるって?なにを欲しがるの?」 「それは解らないが……」 その時のお父さんの顔は強張っていました。なにか、知っていたのかもしれません。そして、低い、静かな声で囁きました。 「いいか、手を。手を広げられたら終わりなんだ。オヤクメサマには、願うな」 お父さんはそれ以降はそんなことを言いませんでした。というよりも、オヤクメサマ。という言葉を使わなかったように思います。陽一様、陽一君、とオヤクメサマの事を呼んでいました。お父さんは陽一君のことを本当の子供のように愛していたんだと思います。村民のみんながありがたがって、オヤクメサマ、と言うのもあまりよく思っていませんでした。 「陽一君は普通の子と同じように育ってほしいと思っているんだ」 とよく言っていました。 陽一君はどんな子だったか。 とても、静かな子でした。いつも静かに微笑んでいる子供でした。白い髪に白い肌は異質でしたが、黙っているとお人形の様で……まるで女の子のようでした。滅多に喋らず、ただじっとしているだけの、子供でした。私が絵本を読んであげたり、学校であったことを話しているのをにこにこして聞いている子でした。陽一君は学校も行かせてもらってなかったと思います。聞いた話ですが、もしかしたら陽一君は……戸籍がなかったかもしれないんです。それというのも、彼は村で唯一の権力者、大井上家の子供です。学校に行っていないとなると大問題なんだと思いますが、彼は生まれて一度も、村から出ず、学校にも行かず……。でも誰も問題にはしていなかった。 なぜか。それは、彼がオヤクメサマだから。 そんな一言で説明が済むほど。 村ではそれが当たり前だったのです。 陽一君は、あまり物を言わない子供でした。とても静かな子でしたから。 ただ、ときたま私には「お菓子がほしい」「本がほしい」とごくありきたりなお願いをすることもありました。私は別段怖いとも思わず、そのお願いを聞いてあげていました。 ある時、私は東京のおばあちゃんに赤い髪留めを送ってもらいました。赤いピンに、白色の生地にピンクの水玉が描いてあるリボンのついた髪留めです。そんなもの、この村でつけている子は誰もいなくて、私はとても自慢でした。それで、その髪留めを陽一君にも見せてあげようと思って大井上家に行きました。いつものように、奥の離れで本なんかを読んでいる陽一君に声をかけました。うれしそうに、ねえ見て。なんか言って。 「陽一君、これ可愛いでしょう。私の大事な宝物なんだ」 そう言うと、陽一君は目を細めながら、頷きました。 そして、言うのです。 「それ、くれろ」 私は思わず聞き返しました。 「え?」 「それ、くれろ。俺にくれろ」 いつものにこにこした陽一君でした。なのに、とても怖かった。 ぬっ、と。 手が差し出されます。 「おまえの、髪留め。おれに、くれろ」 手が。 てのひらが。 ゆっくりとひらくところで。 私の記憶は途切れています。 次に記憶しているのは私がリビングのソファーで寝ていて、真っ青なお父さんとお母さんがダイニングテーブルがある場所で立ったまま何かを話している所でした。私が起きたのを気が付くと、お母さんが走り寄ってきて、私を抱きしめてくれました。私はどうして家にいるのか解らず、そして抱きしめているお母さんがなぜ、すすり泣きをしているのか解らずぼんやりとしていると、お父さんがぼそりと言いました。 「これからはオヤクメサマの所へ勝手に行っては駄目だ」 オヤクメサマ。陽一君をその名前で呼ぶのを嫌がっていたお父さんが、はっきりと「オヤクメサマ」と言ったのです。子供ながらに、なにか大変なことがあったのだと思いました。 もちろん。 あの、可愛い髪留めはもうどこにもありませんでした。
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