雨と星のあふせ

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 満天の星空の下で、僕達は約束をした。 「いつかまた、星空を一緒に見よう」  夏の流星群は珍しく快晴となった夜空にいくつもの線を描いた。このところずっと雨で、流星群どころか星空なんてものは二度と見ることができないと思っていた。けれど空は晴れた。  僕が産まれてから初めて見る、晴れ、だった。 「これを見れないなんてどうかしてるよ」  川辺の土手の斜面に寝そべって君は笑う。四肢を放り出した大胆な寝方は少女らしからぬ、けれど彼女らしい体勢だった。  僕は彼女の顔を見つめる。空を見上げ続けて暗さに慣れた僕の目は、夜とは思えないほどに彼女の顔をはっきりと認識する。  大きく見開かれた目、笑みを浮かべ続ける口元、雑に掻き上げられた前髪の下に広がる額。  夜なのにこんなにもはっきり見えるんだな、と僕はこっそり感嘆する。 「この時代の人達は夜の何を楽しむの?」 「夜は寝る時間だよ。ただ、それだけだ」 「もったいない。昼にはない楽しみが夜にはあるのに」 「……知らなかったからね」  彼女の視線を追って空へと目を戻す。首が痛くなるほどに顎を上げて空を見上げる。  星。  太陽よりも小さくて太陽よりも頼りない光の粒。あれを光だとも気付かなくて、彼女に言われて初めて知った。雲の向こうに空があることも知らなくて、そこに模様があることも知らなくて、その模様がキラキラしていることも、時折流れ星というものが現れることも知らなかった。それらが自分達より大きな岩だというのはあまりにも信じ難い。  けど。  何も言わずにずっと眺めていられるほどには、綺麗な光景だと、思う。 「……はあ」  顔を下向けて後頭部を軽く揉んだ。首が疲れる。ずっと真上を見上げるなんてしたことがなかったから、ものすごく疲れる。 「寝そべれば良いよ」 「嫌だよ、汚い」 「どうせ後でお風呂入るくせに」 「そうだけど、気分が嫌だ」 「でも楽だよ。視界いっぱいに星空が見えるし」 「帽子が邪魔だもの」 「脱げば良いじゃん」 「恥ずかしいよ」 「恥ずかしい?」  彼女は首を捻るように僕へと丸い目を向けてくる。 「どうして?」 「……僕らは外で帽子を外さないから」 「ふうん」  変なの、と彼女は言った。帽子をただのファッションアイテムだと思っている彼女にはきっと一生わからない感覚なんだと思う。僕らにとって帽子とは雨避け機能のある被り物であり、雨の中外したものなら世間から笑われるほどのものなのだから。  星を知らなかった僕のように、彼女は僕らの常識を知らない。 「私、晴れ女だからさ」  頑なに帽子を脱がなかった僕へと彼女はそれ以上何も言わず、朗らかに笑った。 「晴れると思ったんだよね。晴れて良かった」 「晴れ女って?」 「天気が晴れやすい女の子のこと。遠足とかお出かけとか、そういう時に晴れやすい体質っていうか」 「何それ」 「ふふ、この時代の人達には晴れ男も晴れ女もいないのかもね。私一人がいるだけでも効果が大きいのかも」  彼女の言うことはたまによくわからない。たまに、どころかほとんどわからない。 「まさかこんな未来があるとはねえ」  彼女は空へと指を伸ばす。その行為に何の意味があるのかも、僕にはわからない。ただ、その指の先を、整えられた爪の先を、見つめる。 「年中雨の未来。異常気象が当たり前になったってところかなあ。せっかくもぎ取った学生枠だから、機械技術が発達した未来とか、そういうのを期待してたんだけど」 「……何か、悪かったな」 「全然。これはこれで面白いね。憂鬱になるかもだけど」 「憂鬱?」 「ああそうか、毎日が雨なら雨で憂鬱になることもないのか」  彼女の言っていることも、なぜそんなことで笑うのかも、全然わからない。  彼女が現れたのは先週だった。近未来相互開発事業――選ばれた人々が他の世界線を一定期間行き来するプロジェクトの一環で彼女は僕らの世界に降り立った。僕の家はホストファミリーとして登録されていて、彼女を一時期預かることになったのだった。  彼女の世界は宇宙開発が進んでいるのだという。地上で暮らす人はほとんどいないそうだ。  宇宙というものがどんなものなのかさえ、僕は知らない。流星群が見れる時期だと言い出した彼女にそれを伝えた途端「教えてあげるよ」と彼女は大雨の降る夜、帽子も手にしないまま外へ飛び出していったのだった。  そして今に至る。  晴れた空の下で、僕らは星を見上げている。  雨が降っていないことに気付いた瞬間パニックに陥らなかったのは、何度振り返ってみても凄いことだと思う。実際、雨音が止んだ途端住宅街は一気にざわついた。実際雨が止んでいるのはこの辺りだけで、遠くに見える雲が近づいて来ているからすぐにまた雨が降ると思うけど、たぶん今テレビでこの地域の生中継がされていると思う。そのくらい大騒ぎになる事態だ。  けど、隣にいた君が。  ――やった、晴れたね!  知らない単語を口にして笑うものだから。  ――は、れたね?  ――雨が止んだってこと! これで星が見えるよ!  ――雨が、やむ……?  ――あ、そうか、『晴れる』って言葉も『雨が止む』って言葉も、君達は知らないんだね。じゃあ教えてあげるよ。おいで!  その笑顔に、手に、どうにかパニックを抑えて頷いて。  君の手を差し出されるがままに握って、二人で雨のない世界を走った。  物知りな彼女は晴れた空の下で星を教えてくれた。今はあの星を探索中なんだとか、この星は自分の世界ではもう消えているだとか、そんなことを他愛なく教えてくれた。晴れているのが当然のように教えてくれたから、僕も段々と晴れているのが普通のことだと認識し始めていた。  だから約束した。 「いつかまた、星空を一緒に見よう」  だから忘れていた。  このひとときが僕達にとってどんな意味を持っていたかを。
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