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第59話 柔道の領域
亮はロークと一定の間合いを保ったままじりじりと横に移動した。額から流れる血はやがて顎の先に達してポタリと垂れる。動きを止めてロークをじっと見据えた。落ちつきを取り戻すにつれて視界のピントが定まっていく。ロークの両目の下に走る傷跡、そしてTシャツの糸のほつれまでもがはっきりと見えた。
亮から前に出た。ロークの左足がピクリと動いた。亮は反射的に右膝を上げて飛んできた前蹴りをブロックする。それと同時に右の拳を放った。ガードは間に合わない。ロークの顔面にヒットする。が、インパクトの瞬間に上半身を後ろに逸らされたので、おそらくダメージはそれほどでもない。
ロークは上半身を逸らしたまま後退する。亮はさらに踏み込んで拳を振りかぶった。ロークの体がふッと消えた。次の瞬間、死角からこめかみをズガッと蹴られた。ロークは倒れそうになったところを左手だけで体を支え、その状態から蹴ってきたのである。
亮は脳を横に揺らされ、倒れそうになるのを堪えながら距離を取る。いつまでも打撃戦に付き合うつもりはなかった。なんとしてもロークを柔道の領域に引きずり込みたかった。そのためにはまたタックルで攻めるか……。
考える暇もなく、ロークが体勢を立て直して攻めてくる。
「ちッ……」
ジャブで迎え撃った。ロークはそれをかいくぐってフックを放つ。亮はそれをスウェーでかわしてからフックを返した。が、それもスカッと空を切る。
打撃の応酬が続いた。亮はその合間にロークの体を掴みにいこうとする。が、その伸ばした手はすべてバチッと叩き落とされる。
やがてロークのアッパーカットに顎をパカンと跳ね上げられた。今度は脳を縦に揺らされ、視界には地上に通じる井戸の内壁の煉瓦が映る。そしてその先にある暗闇。それが視界全体にぶわッと広がった。意識が飛んでいた。
ドク、ドク、ドク……。
暗闇の中でなにかが鼓動していた。意識が戻った。ロークの体にもたれかかっていた。感じていたのは彼の心拍だった。Tシャツの胸倉を掴んだ。
「へへッ、捕まえた……」
しかし、柔道の投げ技に移行する前に亮の意識は再び途絶え、前のめりにパタリと倒れてしまった。
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