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終・婚礼
春風に吹かれて飛んできた桜の花びらが、赤い絨毯の敷かれた回廊にふわりと舞い降りる。
今、その回廊を女中達がひっきりなしに行き来していた。
女中達が起こす微風に、花びらはくるくると宙を踊りながら、また外へと飛び立っていく。
うぐいすが美しくさえずり渡る、四月――
相良家の庭に面した、暖かな日の光の差し込む一室では、化粧道具や上品な装身具を手に持った娘たちの明るい声が響き渡っている。
和沙や梨花をはじめとしたその娘たちの中央には、正絹の白無垢をまとい、赤い椿を髪に飾った舞衣の姿があった。
「ほら、舞衣、口紅塗るからこっち向いて。絶対動かないでね。じっとしてるのよ」
「わ……わかったわ」
一世一代の勝負とばかりに真剣な顔つきをした和沙が、紅を含ませて赤く色づいた筆先を舞衣の唇に近づける。
「よし……できた。これでいいかしら」
「あら、綺麗に仕上がっているじゃない。さっきから思っていたけれど、和沙ってなかなかセンスがいいのね。相良家でこの子の侍女をするのではなくて、いっそのこと、うちに来てわたくしの侍女になるのはどう?」
「あはは。梨花さま、お誘いありがとうございます。でも、舞衣にはあたしがいないとだめだと思うので、遠慮させて頂きますね」
「和沙ちゃん……」
楽しそうに笑う和沙は今、女中のお仕着せではなく、侍女の服装をしている。
昨年、舞衣が女中をやめ、花嫁修業を始めるようになってからは、和沙に侍女になってもらっているためだ。
(今でもまだ、信じられない……)
窓の外、明るい青空を見上げながら、これまでの記憶を振り返らずにはいられない。
つらいことは、たくさんあった。
苦しくて、悲しくて、耐えきれなくなりそうだった日は数え切れない。
それでも、それらすべてが今日と、これから先の未来へとつながっていたのだと思えば、どんな記憶もかけがえのない宝物のように感じられる。
心地よい風が吹き、木々の枝に花のつぼみが色づき始める今日、四月吉日――
舞衣は、いよいよ婚礼の日を迎えていた。
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