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舞衣はあわてて首を横に振り、おけを返してもらおうと手を伸ばした。
「いいよ、大丈夫! 頼まれたのは、わたしだし」
「手が空いたの。舞衣のところに行けば仕事があるだろうと思って、あんたを捜してたのよ。それで、誰のところ?」
「……ウメさんのところ」
「了解。それじゃ」
「あっ……、和沙ちゃん! ごめんね、ありがとう!」
颯爽とした足取りで去っていく背にあわててお礼をすると、和沙は軽く手を振って返事をしてくれた。
彼女の腕には、舞衣からおけを預かる以前に、洗い物を山と入れたかごがあった。
……和沙ちゃんだって、絶対、忙しいはずなのに。
手が空いているなんて、舞衣に気を遣わせないための嘘だ。
舞衣の後から女中となった和沙とは、同い年であるよしみで仲がよくなった。
もともと面倒見がいい性格もあるのだろう。
何かと仕事を抱えがちな舞衣を、和沙はよく気にかけてくれた。
ここに来たばかりの頃はひどかった、あからさまな陰口や嫌がらせも、和沙が来てからは少なくなったものだ。
本当に、和沙には感謝してもしきれないくらいだった。
(早く今の仕事を片付けて、わたしも和沙ちゃんを手伝わないと)
たらいに入った大量の米を、流水でてきぱきとといでいく。
その手際は、三年前のあの日よりも格段によくなっていた。
(あの日も、こうやってお米をといでいた……)
初めて泉里と言葉を交わした日のことを、舞衣は今もはっきりと思い出せる。
泉里が英国から帰ってくるまで、ここで待つと約束したことも。
……とくん、と心臓が跳ねた。
ああ、まただ、と舞衣はこそばゆいような気持ちになる。
泉里が留学を終え、帰国する日を知らされてから。
舞衣は時おり、仕事中だというのに、こんなふうに胸が高鳴って仕方なくなることがあったのだ。
(……しっかり、しないと)
すると、透き通ってきたとぎ汁の水面に、はらり、と桜の花びらが浮かんだ。
どこから飛んできたのだろう。
何気なく顔を上げてみれば、吹き寄せてくる風はすがすがしく、春の花の香りがした。
見上げた空は、どこまでも青く澄んでいる。
(もうすぐ……もうすぐ、泉里さまに、お会いできる)
気の遠くなりそうなほどに長く感じた、この三年。
あの日の約束は、今日、ついに果たされようとしていた。
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