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英国は、遠い国だ。
舞衣には想像もつかないくらい、とてつもなく広い海を、何十日もかけて船で渡らなければたどりつくことのできない国。
ありとあらゆるものがこの国とは違った地で、きっと泉里は、さまざまな経験を積んだことだろう。見るもの聞くもの、すべてが新鮮であったに違いない。
……それを、思えば。
(よく考えたら、わたしのことなんて、覚えているはずがないのかも……)
舞衣は思わずがっくりと肩を落とした。
そんな舞衣の目の前で、和沙がしきりに手を振って、正気に戻そうとする。
「……舞衣。おーい、舞衣。聞こえてる? ほんとにあんた、大丈夫?」
「うん。大丈夫……。風邪ではないから……」
「そう? ならいいけど。無理しちゃだめよ?」
すると、和沙は急ににやりと笑って、舞衣に顔を近づけて言った。
「ねえ。このあたりの準備もほとんど終わったしさ。ちょっとここ、あたしと一緒に抜け出さない?」
「え? 抜け出すって」
「何ぽかんとしてるのよ。決まってるでしょ、あたし達も泉里さまを見に行くの」
「え、えぇっ!?」
思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。
和沙はあわてて人差し指を口元に当て、「しーっ」と顔を近づけてきた。
「ちょっと。大声出さないでよ」
「ご……ごめんなさい。でも」
それって、仕事をサボることになってしまうのでは?
目だけでそう訴えるも、和沙はますますいたずらっぽく笑みを深めるばかり。
……こういう表情をする時の和沙を止めることは、難しい。
友として、もう二年の付き合いになる舞衣は、それをよく知っていた。
煮え切らない舞衣に、和沙が口をとがらせる。
「何よ。舞衣は泉里さまのこと、気にならないの? 見に行きたいと思わない?」
「そ、それはもちろん、気になるわ。でも……」
許されるのだったら、舞衣だって、すぐにでも泉里の姿を目にしたい。
けれど生来のまじめな性格が、舞衣に歯止めをかけている。
「か、和沙ちゃんっ。やっぱり……っ」
「……決めた。もしさぼったのがばれて怒られる時は、あんたも一緒よ。舞衣」
「和沙ちゃん……」
こうなると、和沙を止める手立てはない。
ふふん、と不敵に笑うと、和沙は舞衣の手を引いて広間を出た。
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