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「…………」
「……? 舞衣?」
言葉もなく、食い入るように生け垣の先を見つめる舞衣をけげんに思ったのか。
和沙が不思議そうに声をかけてきたが、その瞬間、
「こらっ、あんた達、そこで何してるっ!」
背後から怒声が聞こえてきた直後、ごつん、と拳の落ちる鈍い音が二つ。
「痛っ」
「いっ、たぁ! ……ったたた。あちゃー、見つかっちゃったか」
叩かれた頭を押さえつつ、おそるおそる振り返れば、そこには女中頭補佐が腰に手を当てて仁王立ちをしていた。
「あんた達、わかってるのかい! 今日の祝賀会には、政界やら軍部やらのお偉いさん方だっていらっしゃるんだ。万が一にも、準備に手抜かりがあって相良家の名に泥をぬるわけにはいかない。猫の手も借りたいくらいだってのに、のんきにさぼりとはいい度胸じゃないか」
「はい……その通りです。勝手に仕事を抜け出して、すみませんでした」
頭補佐の言い分はもっともだ。
舞衣はすなおに頭を下げる。
しかし和沙は一応は謝りつつ、舞衣にしか聞こえないように、ひそめた声でこそっとつぶやいた。
「運が悪かったわ。この場所はいけると思ったんだけど」
「和沙、聞こえてるんだよ」
「げっ。はあ……申し訳、ありませんでしたぁ……」
頭補佐は額に手を当てながら大きなため息をつく。
「……まあいい。今はほんとに手が足りてないからね、仕置きは後だ。二人とも、手が空いてるんなら厨房に来てもらうよ。急ぎ、昼食を用意しなけりゃならないんだ」
「昼食、ですか?」
舞衣が聞き返すと、頭補佐は「ついてこい」と手で示して歩きながら言った。
「いいから早く来な。こうしてしゃべってる時間すら惜しいんだからね」
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