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頭補佐に命じられたのは、できあがった料理を洋間に配膳する仕事だった。
「泉里さまとご家族の皆さまで、昼食をとりながら歓談なさるんだよ。ほら、さっさとしないと間に合わなくなっちまう」
……そうして、どうにか洋間の卓上にすべての料理を並べ終えたものの。
それから、およそ一時間ほど経った頃。
赤い絨毯の上に、ガラス窓からさんさんと日の光の注ぐ廊下。
舞衣は、部屋の扉の前に立ち尽くしたまま、なかなかその場を動けずにいた。
と、いうのも。
『舞衣、あんた、流しの片付けが終わったらお茶を出しておいで。いいかい、くれぐれも粗相をするんじゃないよ』
相良家の方々に、お茶をお出しする。
それならばもちろん、泉里にも出すことになるわけで。
(どうしよう。わたし、どんな顔をして入っていったら……)
心臓がかつてないほどに早鐘を打っていた。
指先が震え、手に持ったお盆の上で、ティーカップがかたかたと音を立てる。
あでやかな花の絵付けのほどこされたティーカップを満たしているのは、ついさっきいれたばかりの紅茶だ。
透き通った赤色をしていて、ふわりとよい香りの湯気が鼻先をくすぐる。
……この扉の先に、いらっしゃるんだ。
今すぐに部屋に入っていって、泉里の姿を間近に見たい。
なのに、それに勝るとも劣らないほどの緊張が、舞衣に二の足を踏ませている。
けれど、そうして葛藤している時間も、そう長くは続かなかった。
「舞衣、あんた何してるんだい。お茶がさめちまうじゃないか!」
ちょうど廊下を通りかかった女中から、ひそめた声で怒鳴られる。
「仕方ない子だねえ。あたしが扉を開けてやるから、さっさと行きな」
「……っ、す、すみません。ありがとう、ございます」
ふんっ、と鼻を鳴らして、女中が扉を三度叩く。
……もう、後に退くことは、できない。
ぎゅ、とお盆を握りしめる。
舞衣は消え入りそうになる声を叱咤して、言葉をつむいだ。
「失礼、いたします。お茶をお持ちしました」
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