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それからしばらく経って、落ち着きを取り戻した舞衣は、泉里に深々と頭を下げた。
「泉里さま。今日は本当にありがとうございました」
「俺も、舞衣と話すことができてよかった。またこうやって、お前と話すことができたらいいな。今度はもっと、他愛のないことを」
(え……?)
とくん、と胸が弾んだ。
頭を上げると、泉里は舞衣を見つめて穏やかに笑っている。
今の泉里の言葉に嘘偽りなどないことを、その表情が物語っていた。
鼓動が早まる。
息をするのすら、おぼつかなくなる。
(お伝えして……いいのかしら。わたしも、また泉里さまとお話ししたいって)
……わたしも。
わたしも、同じ気持ちだと――。
「あ……あの、わたし」
外からひかえめに扉を叩く音がして、女中頭の声が聞こえたのは、その時のことだった。
(あ……)
「泉里さま。お待たせいたしました、食事の準備ができましてございます。ご出立の準備が整っておられましたら、階下へいらっしゃいますよう。旦那さまもお待ちになっておられますので」
「わかった、ありがとう。今行こう」
ご出立。
その言葉を聞いて、そうだった、と舞衣は今さらながらに思い出した。
途端、心の裡に初めて抱いた温もりが、急に冷たくなっていくような心地がした。
なぜ、一瞬でも忘れてしまっていたのか。
明日からはもう、泉里はこの邸にいないのだというのに――。
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