one more. 2

2/8

49人が本棚に入れています
本棚に追加
/46ページ
「小牧課長代理、生き生きしてない?」 「ていうか、なんか潤ってる?」 「髪の毛一本一本にさえ張りがあるっていうか」 「……。」 「「「…絶対、首の、アレのせいだよね」」」 平日午前9時。官公庁が建ち並ぶ霞が関。 その一角にある古めかしいビルの高層フロア。 窓からは濁った空しか見えない私の職場は、乾いた紙と埃の匂いが充満し、コール音と電話対応の声が響き、キーボードを打つ音が無言の圧力となって一帯を支配している。 …わけだけど。 今日に限っては空気が澄んでいる。 空気清浄機のメンテナンスが終わったからか、行き交う同僚たちの視線もどこか優しい。一夜明けたら戦いは終わって世界は愛に満ちていた。 「確認お願いします」 「は~い」 満面の笑みで返事をすると、部下がなぜか高速で去って行った。多分仕事が押しているんだと思う。みんなギリギリで頑張っている。本当に偉いと思う。 事務机の上に山のように積み上がった書類が、新たに載せられたファイルの重みでぐらりと揺れる。しかしながら、そこは書類たちも心得ていてギリギリ雪崩は起こさない。省庁に勤務する人間はこのバランス力に長けていなければならない。 すなわち、生かさず殺さず。 「はいっ、かしこまりました。すぐに確認致します。お手数をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした。今後は重々気をつけて参ります。はい、…はい。え? 明るい? ええもう昨今、明るい話題が少しでも欲しいところですよね。いえいえ。では、確認でき次第、回答させて頂きますので。はい、はい。失礼致します」 相手が切ったのを確認してから受話器を戻す。と、こちらを注目していたらしい同じ課の皆さんが一斉に目を逸らした。なんだろう、クレーム対応くらい慣れてるんだけど。心配そうにこちらに目を戻した新人の向井ちゃんと目が合ったので、大丈夫と微笑みかけてみた。 「…小牧さん、クレーム受けて笑顔」 「もはや怖い」 事務系公務員の電話対応業務は侮れない。 お客様相談窓口も勿論あるけれど、そこで対応しきれないものや代表電話にかかってきたものは担当課に回される。これが意外と多い。で、総じて長い。罵詈雑言を吐き捨ててすぐに切れる場合もあるが、怒りが収まらないのか大抵何度もかかってくる。1、2時間は余裕でかかる。筋違いな怒りを甘んじて受け止め、呪いの言葉を吐かれ、罵倒され、人間性を否定されてもひたすら耐える。 電話対応に限らないけど、意外と心労がかかる職務であり、私の直属の上司である課長は病休を取っている。 まあでも私は、そんな「公僕」になりたくてなった。 だって。公務員なら、生涯一人で生きていける。
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加