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「季生くん、…っ」
自宅玄関を入ってすぐの上がり框に季生くんが立っていた。季生くんの姿を見たら、押し込めていた不安が一気に溢れて、思わず上着の裾にしがみ付いてしまった。
「今、警察の人に現場検証してもらってる。無くなってるものがあるかどうか、一緒に確認しよう」
季生くんは腕を回して私を引き寄せると、安心させるようにポンポンと背中を優しく撫でた。
「うん、…」
深呼吸する。季生くんの匂い。大丈夫。しっかりしろ。
帰り道はずっと、悪い夢を見ているような気分だった。
事情を話して、急遽早退することにした私を、課の皆さんが快く送り出してくれた。どこで知ったのか南条さんと新見課長も声をかけてくれて、仕事のことは心配しなくていいと言ってくれた。職場で気にかけてくれる人がいる有難さを噛みしめた。
通りも地下鉄も朝と同じ景色のはずなのに、鉛を飲み込んだ胃をぐるぐるかき混ぜられたような不快感で、何も目に入らなかった。
空き巣? え? なんで?
用心しなければならないと知ってはいても、自分が当事者になるまで、事故や事件は遠い世界の話だと思ってしまう。
見慣れた官舎の前にパトカーが止まっていて、
「どうしたの?」「空き巣らしいよ」「怖いわね」
「災難よね」「今、ちょうど警察の人が来てるみたい」
そこかしこに住人たちの姿が見えた。不安げに様子を探っているようだった。
私が近づくと一斉に口を閉ざし、さっと左右に道が開いた。おかしな話だけど、見知った人たちの尋常じゃない様子に、空き巣被害に遭ったのは本当なんだという妙な実感が湧いてきた。
『帰ったら鍵が開いてて、部屋中荒らされてた』と、季生くんは言っていた。部屋の様子を見るのが怖い。このまま季生くんの腕の中に隠れて、現実を見なくて済めばいいのに。
季生くんの腕の中は温かい。季生くんが居てくれて本当に良かった。
「お部屋主の方、お戻りになりましたか」
状況確認をしてくれていたらしい警察の人がリビングから出てきたので、季生くんから離れて顔を上げ、…
頭が真っ白になった。
時間と場所と状況が全て飛んで、ただただ目の前に立つその人を見つめたまま、動けなくなる。
なんで。ここに。
なんで。なんで、…
ショックが重なって何が何だか分からない。
初めて人を好きになった。彼の全てが好きだった。彼の目も耳も、髪の匂いも、とにかく好きで、何もかもが好きで、好きで好きで大好きで、傷つけた。もう二度と会うことはないと思っていた、彼が。
「…佑京くん」
高校の制服をダークグレーのスーツに変えて、一段と精悍さを増した顔立ちに、何もかもを射抜くような鋭い瞳を光らせて、すぐそこに、私の目の前に、立っていた。
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