one more. 3

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『こまき、…』 かすれて溶ける甘い声が耳にこだまする。 佑京くんの耳に響く低い声が好きだった。私を呼ぶとき、ほんの少しだけ、甘く優しくなった。 「こまき、…」 ダークグレーのスーツ姿で、私の目の前に立つ佑京くんは、ほんの一瞬、瞳に切なさを滲ませたように見えたけど、声はよく聞こえなかった。 わずかに揺らした視線を戻すと、佑京くんは何事もなかったかのように表情を消して、 「…この度は大変な目に遭われましたね。部屋は荒らされていますが、危険はなさそうです。落ち着かれたらで結構ですので、紛失物の確認をお願いできますか」 よく響く低い声で流れるように事務的に告げた。 丁寧な口調。落ち着いた大人の声音。頼れる職業人。 放たれた佑京くんの声を、全部拾い集めて抱きしめたいけど、ここにいるのはもうあの頃の佑京くんじゃない。10年以上経っている。なのに、私だけ少しも動けない。 「もし、部屋に入るのが怖いなら、一緒に、…」 佑京くんが労わるように膝を屈めて、その端正な顔を私に近づけた。 息が止まる。佑京くんが近過ぎて。無意識に懐かしい匂いを探して。 「…必要ないよ」 佑京くんの前でバカみたいに突っ立ったまま、何の反応も出来ずにいた私を庇うように、後ろから季生くんの腕が回る。 「俺がいるから」 しなやかな季生くんの腕に引き寄せられて、ようやく現実に立ち返った。 しっかりしろ、私。いつまで過去を彷徨っているんだ。 私たちは望もうと望まざると大人にならなければいけない。 「すみません、大丈夫で、…」 気を取り直して室内の確認に行こうとしたら、無言で季生くんと対峙していた佑京くんが、すっと私たちの前を横切って玄関ドアを開け、 「…ミク、部屋主に付き添って、紛失物の確認と被害届の作成を頼む」 外に向かって声をかけた。 「はい、了解です」 即座に可愛らしい声がして、佑京くんの後ろから女性警察官が入ってきた。思い返してみれば帰ってきた時、外に誰かが立っていて、声をかけられたような気もしなくもない。 ミク、と呼ばれた女性警察官は、にっこりと親しみやすそうな笑みを作ると、 「遺失物担当の鷲宮 美玖(わしのみや みく)です。行きましょうか」 案内するように私の隣に寄り添った。 わしのみや、みく。 ずくん、と心臓が嫌な感じに軋む。 反射的に美玖さんの左手を見ると、ほっそりした白い薬指にシンプルなリングがはめられていた。 そんな場合じゃないのに。 ひどく場違いな感情が生じて、自分自身に嫌気がさした。 そんな私の心情を察したのか、 「俺も行くよ」 励ますように季生くんの手が頭の上にのる。大丈夫、と首を横に振ると、 「…ちゃんと見て来いよ。下着とか」 季生くんが私の頭を優しく撫でて、 「ま、お前の色気のない下着じゃ、盗る奴もいないか」 余計な一言も付け加えた。 「ちょ、…見たことないくせに」 「見たに決まってんだろ、俺ら風呂も寝るのも一緒なんだから」 「な、…っ」 何を言い出すの、季生くんっ それはそうだけど、そうなんだけどもっ 無駄に動揺して季生くんの胸を叩くも、季生くんは余裕そうな笑みを浮かべてぎゅっとその胸に私を引き寄せた。 「…ふふ。仲良しなんですね。羨ましいです」 そんな私たちに、美玖さんは笑顔を向け、佑京くんは黙ったままだった。
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