君の傍まであと一秒

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「……これも、言ってなくてすみません。ていうか、今日言おうと思ってました。多分、絵麻さんは今まで話した様子から大丈夫だろう、とは思ってたんですけど。これが駄目だと、結婚が難しくなっちゃうので」 「な、何が?」 「……前の奥さんと、別れた原因なんです。愛犬が……ゴールデンレトリーバーのカスミさんが、奥さんにはちっともなついてくれなくて。え、絵麻さんは、大型犬大好きなの今まで話聞いてて知ってたから、言うの遅くなっちゃって……それで」 「…………」  大体、話の全貌が見えてきた。  どうやら会社のごく一部の人が知っていた“彼は結婚している”情報と。彼がカスミさん、という犬を溺愛していてそれについて話しているところを他人に聴かれてしまった結果、どうやら“カスミさんという奥さんを溺愛している既婚者”という噂が独り歩きしてしまったということらしい。 「な……なんだぁ」  ああ、こんなことならもっと早く真実を訊いておけばよかった。私は全身から力が抜けてしまう。  というか。自分はそもそも、彼のことを信じきれていなかったのも問題であるような気がする。付き合って、その誠実で優しい性格はちゃんとわかっていたはずなのに。 ――自己嫌悪が、やばい。  おまけに、なんだかすっかり空気がおかしくなってしまった。私がぽりぽり頭を掻いていると、改めて!と彼は背筋を伸ばしてくる。 「川口絵麻(かわぐちえま)さん!僕と……結婚してください!」  その眼は、あまりにも純粋で、一途で。私はその瞬間、ずっと胸に詰まっていたものが全部決壊してしまった。  彼のことが好きで、好きで、好きで。本当の本当に、大好きで。  不倫かもしれないと思っていても、その事実が直視することができないほどで。  別れ話を切り出されるんだと思った時、どれほど絶望したか。目の前が真っ暗になったか。――だから。 「――っ!」  椅子を蹴る勢いで立ち上がり、走り出す。遠いと思っていたテーブルの反対側は、今の自分にはほんの数歩の距離だった。  愛する人の傍まで、あと一秒。  人目もはばからず、お洒落なスーツ姿の彼に抱きついてしまう。 「私こそ」  強引だろうと、人前だろうと、知ったことか。 「私こそ、ずっと……よろしくっ!」  横から強引に奪う唇は、初恋のように甘い味がした。
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