4人が本棚に入れています
本棚に追加
4.その名前は偶然か
「山里さん」
下駄箱の前でいきなり呼び止められ、上靴を持ったまま振り返る。
間抜けな姿。
呼び止められた相手がイドハルじゃなくて良かったよ。
まあ、そう言う可能性は限りなくゼロに近いけど。今のところは。
しかし今後もその可能性ゼロについては変わりそうもない。
暗く目立たないオーラゼロのイドハルに、なけなしの勇気を振り絞った感じで「山里さん」と呼びかけてもらいたい。
あたしはきっと平坦な声で、でも僅かに微笑みを忍ばせて「はい? 」と答えるだろう。最初が肝心。やる気満々笑顔全開で挑めば怖気づいて退散される可能性が高い、などという分析は今のところ役に立ちそうもない。
残念ながら、声をかけてきたのは、おかっぱ頭の田所さんだった。あれ? と思う。堤川さんとニコイチじゃなかったのかよ、うんざりした気持ちで「何?」と不機嫌に問いかける。
「ごめんなさい」
いきなりあやまられて驚く。
「あの、この間はいきなりごめんなさい。で、改めてなんだけど、井戸出川さんのファンクラブに入りませんか?」
は?
勧誘?
どの口が言うか、って感じ。
「けっこうです」
即答して、上靴を下駄箱に押し込むと靴を履き替えそのまま行こうとした。
「待って。誰が誰を好きでも自由だと思うの。でも、由依にとって、井戸出川さんは特別なの。由依は井戸出川さんがモデルデビューした時からのファンで、部屋は彼の写真でいっぱい。髪を伸ばしているのも彼がインタビューで「髪の長い女性が好き」と答えていたからなの。」
「由依?」
「堤川由依」
「あ、堤川さん、由依っていうんだ」
どうでもいい情報をありがとう。
ついでに言うと好きな人はみんな特別。
そんなの、恋する乙女はみんなそうだよ。
「田所さんにとっては特別じゃないの?」
「井戸出川さんのファン、というのは嘘ではないけど」
なんか、歯切れ悪い。
「山里さん、よーく考えて」
「何を?」
「同じ人を好きになるってことは趣味好みが似ているってことよね? だとしたらすごーく気が合うと思わない? 仲良くなれそうだと思うんだけど」
差し出された紙は、ファンクラブの申込用紙だった。
「ならない、入らない、こんなのいらない」
あたしは両手を横に振って、田所さんを振り切ろうとした。
「あなたはいいよね。名前と同じ。誰からも愛されてるって感じで悩みなんてなさそうで」
ファンクラブに入らないって言っただけでケンカ売られるってどういうことなの?
「私、中学校の時、イジメにあっていて、助けてくれたのが由依だったの」
何ですか? そのカミングアウト。
超面倒臭い展開になる予感。
「ちょっと失敗して友達関係をこじらせちゃったことがあって。話す相手もいなくなって、気を紛らわすために雑誌を開いていたらそのページにたまたま井戸出川さんの写真が小さく載っていて……。そしたら由依があなたもこの人のこと、気になってるの?
って話しかけてくれて」
「それがきっかけで友達になった、ってわけ?」
「学校で話しかけられたのって、すごく久しぶりで、嬉しかったの。井戸出川さんのどこがいいのか、私には全然わからないけど。
同じ地元だから余計に応援したいって言っていたから調べて、もしかしたら同じ高校に行けるかもねって話してたけどまさか本当に同じ高校になるとは思わなかった。あ、由依は本気で必死でしたよ。すごくかっこいいのかもってちょっと期待していたんですけどね、実際に会ってみたらオーラゼロだし、友達も少なそうでぽつんとしていることが多いし、教室移動もたいてい一人だし、昼休みも話しかけられたら答えるって感じでまあでも嫌われてるってこともなさそうですけど、あ、運動がそこそこできるからですかね。もともとサッカーをしていて、モデルを始めたからやめてしまったみたいなんですけど。ほら、練習や合宿に行かないとレギュラーとるの難しいじゃないですか。まあ、雑誌に乗っている写真は悪くないけど、学校にいると全然目立たないでしょう? 所詮雑誌の写真は演出に過ぎないって気付くかと思ったけど、愛は盲目ってやつかな」
田所さん……。
どんだけリサーチ力があるんだよ。
そしてどれだけイドハルをこきおろすんだ。
さっきから、一ミリも褒めていない。
堤川さんといっしょにファンクラブを作ったくせに、そこに愛はないのか。あるのは堤川由依への恩返しの気持ちだけか。
「オーラ全開、明るさ爆発、いつもにぎやか輪の中心、だったら逆に引くわ」
「あっ」
田所はさん目を見張ってポン、と手を打った。
「由依も同じことを言っていました! やっぱり、由依と山里さん、合うと思うんですよ」
思うのは勝手だけど、押し付けないで。
「山里さんが由依と仲良くしてくれたら、助かるんだけど」
助かる?
あたしは別にあなたを助けるつもりはないよ。
「もしかしてそろそろ恩返しを終了にしたいわけ?」
「やっぱり、山里さん、勘がいいね」
いや、あんた、はっきり言ってるも同然だよ。
一緒にいてくれるなら誰でもよかった。
だから必死で合わせた。
一緒にいるためにイドハルのファンのふりをして、でも由依ほどの熱量ではないこともアピールして、ずっと合わせてきたけれど、もう無理。だって最初から違うんだもん。
そういうことだよね。
「あたしは田所さんの代わりにはなれないし、なるつもりもないよ」
あたしは思い切って、でもすごくわかりやすい一言を投げつける。
「関係ないもん!」
その瞬間、田所の顔が怖いくらい歪んだ。
「だってもう、限界なの! 井戸出川、井戸出川って、毎日毎日聞かされていっそ告白でもしたら終わると思ったのに全然」
わめくおかっぱ頭の後ろを、通過していく背の高い男、あたしが見間違えるはずもない。
「イドハル……」
最悪だよ。
あたしは田所さんに反論する気力もなくなった。
終わった。
始まってもないけど。
イドハルが捕らえた視界を想像するだけで目の前のおかっぱ頭をはたきたくなる。
あたしの恋、返してよ!
恋のジェットコースター急降下、終了です。
ぽつんと一人、田所さんを残したままあたしは無言で自分の教室に戻った。
「終了は早いって」
あーちゃんが購買部で買ってきたクリームがいっぱい詰まって人気のパンを半分にちぎって、あたしに寄越す。
「終了にはならないって」
よしりんもチョコチップクッキーを差し出しながら真面目な顔で言う。
「もうだめだと、きっぱりあきらめられるならいいけど、そうはならないところが恋の厄介なところだよ……」
「よしりん、ため息をついてるけど、あんたの場合は所詮二次元。最初から叶わぬ恋なんだから早くあきらめた方がいいって」
「だ・か・ら、そうできるならしてるって! それができないから辛いんじゃない。もうすぐ新刊出るし。発売日はダッシュで帰るから止めないで」
「止めないよ。止めたって無駄だって知ってるし、辛いって言いながら楽しそうだし」
あーちゃんのくれたパンとよしりんのこれたクッキーを持ったまま、甘いものなんて食べる気分じゃないんだってば、でも折角くれたから仕方ない、と口に運べばふわりと柔らかいクリームの甘さに頭が痺れたようになって「やっぱ、おいしい」とつぶやく。
「どんどん食べな」
よしりんが、もう一枚チョコチップクッキーをあたしの手に乗せた。
ざくざく噛むと甘さとほろ苦さを口の中に残して、あっけなく消えていった。
こんなふうに今の気持ちもあっけなくけ消えれば、また見飽きた校舎と眠い授業、何もかもがつまらなくてウザい日々が始まるだろう。
でも、あたしの目はまだイドハルを探している。
そして、今まで気がついていなかったことに気が付く。
イドハルの姿を目で追うと、視界のどこかに必ずと言っていいほど堤川さんを捉えてしまう、という恐ろしいような敵ながら天晴と言うような、それを通り越して同志、というような複雑な気持ち。
堤川さんの髪の長さがイドハルへの想いを現しているようで呆れるというか怖いというかすげーな、というか。
でもあたしは、彼女みたいに髪を伸ばしたりはしない。
あたしは、あたしのまま、やきもきしてうじうじして、にやにやしていたい。
そんなあたしを、見てほしい。
「それって、自分に自信があるってこと?」
よしりんが眼鏡を外してレンズを拭きながら聞いた。
「違うよ。自信なんてあるわけないじゃない。だけど、あたしじゃないあたしを好きになってもらっても仕方ないじゃない」
「何をどうしたって山里愛は山里愛でしょうが」
「そりゃそうだけど」
田所さんみたいに、無理をして苦しくなるのは御免だ。
そういえば、最近はあまり二人で一緒に入るところを見かけない。
「私がコンタクトにしないのは、眼鏡の方がいろいろ誤魔化せる気がするからです」
「誤魔化すって、何を?」
「顔のパーツが全部あっさりしてるから、眼鏡をかけた方がさみしくないんだよね」
「顔がさみしい? 意味わかんない」
「キャライメージとか何とか、前に行っていなかったっけ?」
「まあ、眼鏡をかけてもかけてなくても、よしりんはよしりんだけどね」
「眼鏡をかけたからって急に私的美人に変身するわけでもないけど」
「当たり前じゃんか」
「そんな眼鏡があったら、みんな掛けるわ」
今日もきゃあきゃあ騒いで楽しそうに見えるあたしたち。
楽しんだ方の勝ち。
好きなもの、好きな人、好きな食べ物、多い方がきっと勝ち。
人生、勝ち負けじゃないけど、好きが多い方がきっと幸せ。
「あなたはいいよね。名前と同じ。誰からも愛されてるって感じで悩みなんてなさそうで」
名前の御利益と思われるのは心外だけど。
愛なんて空気と一緒。
そこらじゅうにあって、自由につかみとれるはず。
愛されないと嘆くなら、愛してみようよ。
誰かを好きになる。
それで何かが変わる、広がる。
そんな気がする。
あたしはこの先どうなるんだろう、どうするんだろう。
やっぱり、挨拶から始めるべきかな。
おはよう、と言えばおはよう、くらいは返してくれるだろう。
その時のことを考えただけでどこん、と心が揺れる。
すれ違った、目があった、そんな些細なことであたしはまたわあわあ叫んだり喜んだり怒ったりするんだろう。
心が乱されるたびに生きているって感じる不思議。
愛は最強。
そう信じるあたしの名前は山里愛。LOVEに満ちた乙女です、なーんてね。
最初のコメントを投稿しよう!