1.それは突然やって来た

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1.それは突然やって来た

 奇跡とか運命なんて信じない。  あったとしても、それは宝くじに当たるような確率であたし以外の誰かに起こるんだろう、と思っていた。  誰かと出会う、それだけで世界が変わるなんてことはあり得ないと思っていた。  でも、現実世界は意外にファンタジー。  気持ち一つで世界は変わる。  あたしにも奇跡は起こったんだ。  世の中、不満だらけ理不尽だらけ。  入試のためだけの詰め込み授業、無理やり取らされる選択授業。  見飽きたいつもの校舎、眠い授業、受験だの将来だの、しんどい、疲れた、考えたくない、だから必要以上の笑い声をたてて、廊下を走って、先生に怒られている。  そんなあたしたちを見て「楽しそうだな、女子高校生」と思っているやつ、単純すぎるよ。  夢見てるふりしながら、見る夢がないことだって本当はわかっている。  わかりすぎてなにもかもが全部うざい。  そんなつぶやきも胸の奥深く沈めておく。  ぐんぐん力いっぱい沈めすぎて、そのうち沈めたことさえ忘れてしまいそう。  みんな、言わないだけできっと同じ。  だからあたしたちはそういう話はしない。  楽しいことだけ、深刻にならない軽い愚痴だけ、笑いながら言い合ってギャグにしてしまう。  そうでもしていないと、やってられないよ。  井戸出川晴壱(イドデガワハルイチ)。  その名前のインパクトとは裏腹に暗く地味な男である。  モデルという人目引く華やぐ副業を持っている割にあまり騒がれていないのは、あまりに目立たないからだろう。  背は高いし、顔だって悪くない。  みんな一度は「モデルがいるらしい」と見に来るけれど「ふーん」という感じで立ち去ってしまう。    見た?   見た見た、で終了。   ファンクラブもあるらしいが、活動がひっそりし過ぎていて、何をしているかは不明。  たぶん、遠くから見てきゃあきゃあ騒いでいるだけなんじゃないかと思う。 つまり学校あげての目立つ存在、オーラ出まくり、ちょっとでも見たいと願う女子の群れによる交通渋滞発生、なんてことは皆無。  最初は物珍しくても、日常となるとだんだんみんなの関心も薄れる、そんな感じのちょっと気の毒な井戸出川晴壱。  あたしも入学したての頃に「同じ学年にモデルやってる男の子ががいるらしいよ、五組にいるって」とささやかれ「五組って隣のクラスじゃん。すぐそこだし、ちょっと見に行く? 」と数人の女の子と見に行った。 「背、高っ」と思ったことだけ覚えている。  そして「まあ、イケメンにはちがいないけど」といっしょに見に行った女の子のうちのひとり、杉田あすみがつぶやき「あれ? 」と思ったことも記憶している。  なぜなら「けど」がついたということは、そのあとくるのはたいてい否定、のニュアンス。  つまり杉田あすみことあーちゃんが「以下、略」して言わなかった言葉は「けど、タイプじゃない」であろうことは予想がつく。  あーちゃんは肩まである真っ黒なストレートの髪をさらさらとたらし、重い印象にならないよう、前髪半分はサイドに流して白いおでこをちょっと出す、というテクニックもさらりとこなし、かばんにはかわいい流行りのマスコットをいくつかぶら下げていて、いかにも絵にかいたようなおしゃれ女子高生、モデルをやってる男の子なんてすぐ飛びついてきゃあきゃあ言うだろうと思っていたから、あれ? 軽いタイプかと思ったけど違うんだ、と意外に思った。 「なんていうか、印象薄いよね」 「うん」 「なんかさー、あいつそこそこ身長あるから「あ、いるな」とは思うのよ。そこは気付くんだけど、そのあとはいるのかいないのかよくわかんない感じ?」  井戸出川晴壱に対する感想を言い合って、あたしたちは友達になった。  人と人の関わりって不思議なものだなあ。  よしりんがくせ毛を両手で押さえながら「あ、今日、湿気すごい」とつぶやく。  よしりんは教室での最初の席が、たまたまあたしとあーちゃんの間にあったため、いつもあたしたちの会話を聞くともなしに聞いていたらしい。  部活入部の手続きをしなくちゃと二人で美術室へ行ったらよしりんがいて「一年は他に誰が来るの? って聞かれたから杉田さんと山里さんの名前を言っておいたんだけど、言っちゃってよかった?」と聞かれた。 「いいけど、あたしたちが美術部に入るってなんで知ってたの?」 「だってあんたたちの会話、丸聞こえなんだもん」 「あ、吉村さん席近いから」 「声が大きいんだよ、二人とも」  そんなわけでなんとなく、くっついたあたしたち。  学校における交友関係の発生の仕組みはずっと変わらない。  クラスとか席順とか部活とかで、くっついたり離れたりする。  あたしたちの世界はわかりやすくできている。  だから厄介、とも言えるけど。 「ああ、もうすぐ梅雨がくる。やだなあ」  よしりんはふわんふわんに膨らんだ髪の毛を両手でぎゅうとおさえつけながらうなっている。  くせっ毛って大変なんだなあ。ストレートで、ショートヘアのあたしにはぴんとこないけど。 「井戸出川、細いからさー、デブの後ろにいたらわかんないよね」 「あんまり存在感ないし」 「存在感ないモデルって……」 「っていうかなんで井戸出川の話? どうでもいいんだけど井戸出川」 「いやでも今月、雑誌に出ているらしいよ井戸出川」 「マジ?」 「え、知らないの? 女子がさっき雑誌を見て騒いでたよ」 「あー、そういえば、なんかきゃあきゃあ言ってたね」 「うっそ。ちょっと見たいな、それ」 「メンズセレクトにのってるらしいよ」 「メンズセレクト? あれに出てるってちょっとすごくね?」 「誰か持ってるかな? 聞いてみる?」 「まだそこらで、売ってるっしょ」 「メンズセレクトっていくらすんの?」 「えーと、たしか六百九十円だったような気がする」 「イドハル見るのに六百九十円も出す?」 「イドハル、ってそこまで略す?」 「井戸出川、っていちいち言うの面倒臭い。名字長すぎ。イドハルでよくね?」  あたしとあーちゃんとよしりんで勝手に井戸出川晴壱をイドハルと略すことに決定。  六百九十円あればミスド行くよ、コンビニのプレミアムロールもいいね、季節限定シュークリームも捨てがたい、でもどれ買ってもおつり来るし、メンズセレクト高っ、などと言い放ち、あたしたちは放課後コンビニでイドハルの出ているらしい雑誌「メンズセレクト」を立ち読みすることにした。  立ち読み、ってところがね、ちょっとした好奇心だけっていうのが丸出し。 「美術室、今日使えなくて部活中止って言ってたからちょうどいいじゃん、今日の放課後コンビニ行って見てみよう」  こういう話はすぐまとまる。  運動たるい、絵を描くのはまあまあ好き、というそれだけの理由で美術部に入部したあたしたち三人は部活が中止になっても全然残念じゃない。  どちらかといえば自由な放課後バンザイ、ラッキーって感じ。  いつもうつむき加減の地味なイドハルがどんなふうにモデルぶっているのかちょっと見て見ますか、なんてそりゃもう下卑た好奇心ですよ。  それでもって立ち読みなんて行動、性根腐ってます。  とりあえず食いついて、おいしくなかったらポイ、そりゃひどいもんです、あたしたちって。 「あ、あった、メンズセレクト」 「どこらへんかなー」 ぺらぺらぺージをめくり、ひそひそこそこそささやいてイドハルを探す。 「あ、これこれ」 「ほんとにイドハルだ」  あたしたちはメンズセレクトのページををめくる手を止めた。  あーちゃんを真ん中に、三人で食い入るように教室にいる時とは違うイドハルを見る。  ぎゅん。  胸の真ん中奥深くに衝撃。  息ができなくなって、いつもはおろしている前髪をつんつん立たせたイドハルの、つるんとしたおでことその下にあるきりりとした眉、突き放すような暗い目とうっすら笑みを浮かべた唇を息を詰めたまま見ていた。 「愛、どうした?」 「胸、痛(むね、いた)、……」 「あ? 胸板がどうした?」  あたしはへなへなしながらあーちゃんの肩を力なくぶった。 「ちがうよ……」  あたしはあーちゃんの手からメンズセレクトを奪い取るとレジに向かった。 「ええーっ。買うの?」 「マジマジマジ? 何で!」 「プレミアムロールはどうすんの?」    うるさいっ。  心の中で叫びながら財布を取り出す。  あれ?  なんだかあたし、手が震えてる。  なんなんだこれは。  心の動揺?  寒い時じゃなくても勝手に体が震えることってあるんだ。  心と体って直結してるんだ、すごい。  今まで「心と体はつながっているんです」なんて言葉を聞いたことはあったけれど、そんなの嘘だよ作り事だって思ってた。  ただのキャッチコピー的耳触りのいい言葉くらいにしか思っていなかったんです、スミマセン、本当のことだったんですね、とどこかの誰かにあやまりつつも感動した。  あたし今、心の振動で手が震えちゃってますよ、すごいです。   でも、人間って本能的に動揺を抑えようとする生き物なのね。  いや、見栄っ張りと言うべきか。  店員さんに「なんだこいつ、手が震えてるよ。どっかおかしいんじゃね?」なんて思われたら嫌だ、震えを止めなきゃ、とも同時に思っていた。  震えてている自分を面白がって感動すら覚えているのに、それをやめさせようとしているこの矛盾。  結局矛盾だらけだ、人間なんて。  レジでお金を払う短い時間でこれだけのことを思ったせいか、雑誌を受け取った時にはイドハルを見た時の衝撃が随分前のことのように思えた。  さっきの衝撃が、気のせいだったらどうしよう。  そんな不安が芽生える。  急いで確かめなくちゃ! 「ヒューヒュー」  わかりやすく古臭い奇声を発しながら、あーちゃんとよしりんが早足でコンビニを出たあたしを追いかけてくる。 「ねえ、さっきの写真ってそんなに格好良かったっけ?」 「もう一回よーく見せてよ」  あたしだって、今すぐもう一度見たいよ。  だけどここで広げたら「どれだけがっついてんだ」って感じになりそうだから、気持ちを押さえる。 「やだ。減るから」  わざとそう言うと、二人は大袈裟にのけぞった。 「うわ。本気だ」 「冗談だよ」  いきなり突っ走っちゃった自分が急に恥ずかしくなり、歩調を緩めると、あーちゃんとよしりんに両腕をがっちりホールドされた。 「ねー、ちょっとどこかで話そうよ」  そのまま、引きずられるようにファーストフード店へ向かう。  歩くたびかしゃかしゃ耳障りなレジ袋の音が今はうれしい。  さっきまで毎日なんてつまらない繰り返しのエンドレズゲームだ、何もかもウザいとわざとらしくはしゃいでいたのに、この気持ちの変わりようは何だ。  ああ、この気持ちが一瞬で消えたりしませんように。  ドキドキしながら、雑誌を取り出す。 「うーん。愛の趣味はこういうのだったのか」  よしりんがストローで一気飲みしたあと、オレンジの香りのため息をついた。 「そりゃ、こうやって写っていると格好いいと思うよ? でも、学校でのイドハルってどうよ? だってこれを見るまでイドハルの事、何とも思ってなかったんでしょ? 本人見て何ともなくて写真で一目惚れってありえなーい、つーか、明日実物見てあらやだ、こんな感じじゃなかったのに、ってなるんじゃない? っていうか今まで完全に無関心だったよね、愛」  あーちゃんは手厳しい。 「あーちゃんたら、そんなにマジに説教しなくても。ちょっとかっこいい、って思っただけなんでしょ? そういうのあるじゃん、あれ? 今、一瞬かっこ良かった! みたいなやつ」  よしりんは細い赤のメタルフレームの眼鏡のずれを直しながらあたしを見る。 「よしりん、コンタクトにすれば?」 「んー、あたしマンガオタクだから、眼鏡の方がしっくりくる」 「意味わかんない。マンガオタクは眼鏡って決まりあるの?」 「キャライメージで」 「よしりんにキャライメージなんて求めていないけど?」  よしりんにうまく話をふって、あたしはつつーとアイスティをすする。  実は「ちょっと」じゃなくて「すごく」、なんですけど。  かっこいい、どころかハート直撃って感じです。  正直、雑誌やテレビでタレントの誰かを見てきゃー素敵、ってなったことはあるけれどこんなにずどんと直撃されたのは初めてだった。  あたしは、雑誌の中のイドハルに目を落とす。  実物が近くにいるのにときめかず、写真で恋に落ちるって、そりゃなんだ、あり得ないだろう、第一本人に失礼だろう。  あーちゃんが言うことはもっともだと思うが、なってしまったものは仕方ない。 「うん。確かに学校でのイドハルと雑誌のイドハルって全然違う……」  ということはモデルのイドハル、というかこの写真のイドハルを良いなと思っただけで現実のイドハルにときめいているわけじゃないってことか。 つまりある意味偶像崇拝、実際にいる人そのものではなく、作られたイメージに恋しちゃっているってこと?  そこんとこどうなんだあたし、と自分に問いかけてみたけれど衝撃を受けたばかり、動揺しているあたしは自分のことなのに判断つきかねる。 「そりゃ学校とは違うでしょうよ」  ぶくぶくぶく、あーちゃんは自分の紙コップにストローで息を吹き込んだ。 「スタイリストがついておしゃれな服を着せてもらってヘアメイクしてもらって、一番よく見えるように撮ってもらってるんだよ? これって作られたイドハルだよ? そこんとこ、わかってる?」 「いーじゃん、そこまで言わなくても。まあ、愛が本気ならあたしは愛の恋を応援するよ?」 「愛の恋って語呂悪い」 「確かに」  笑いだすあーちゃんとよしりんにあたしはちょっとバカにされているような気がして、無言でわずかに残ったアイスティーをすすりあげた。  ファーストフード店のコールドドリンクの紙コップの中味はどうしてこうも氷ばかりなんだろう。 「この写真のイドハルのどこが良かったの?」  よしりんの指はイドハルがのっているページをいったりきたり。 「どこって、そんなの説明できないよ」 「愛、イドハルのファンクラブに入っちゃったりするの?」 「え、ファンクラブ? そんなものがあるの?」 「堤川さんとか田所さんが、勧誘してるらしいって噂だけど」 「ほら、なんかすごーく髪の長い子、ここらへんまで」  よしりんが自分の腰のあたりをチョップする。 「あ! わかった。エキゾチックジャパーン、って感じの子ね」 「なんじゃそりゃ」 「出遅れたね、愛」  あーちゃんがにやにやしてあたしの背中をたたいた。 「まさか愛がね。イドハルに。しかも今頃って、遅っ」  あー、そういえばあたし、あーちゃんが見た目でとびついてきゃあきゃあ騒ぐタイプじゃないと知って「気が合いそう」って思ったんだった。  なのにあたしが「雑誌の写真見て恋に落ちた発言」ってどうなのよ、見た目重視の超軽い女じゃん。  でも、なっちゃったものは仕方ない。  あたしだって自分で驚いている。 「所詮人は見た目だね」 「そういう言い方やめてよ」  あーちゃんは正しい。  反撃する声も小さくなる。  「一目惚れをばかにしちゃいけません。自分の直感力を信じるのよ、愛」 「え、やだよしりん、どうしちゃったの?」 「だって、あたしが今まで好きになった人はみんな一目惚れだったからさ。出てきた瞬間にああ好き! ってなるもん、いつも」 「出てきた瞬間?……あー、漫画ね」 「はいはい」 「よしりん、いつ二次元から脱出するの?」 「え? するつもりないけど? だって三次元に二次元を超えるひとがいないんだもの」 「立体化している時点で二次元超えてますけど?」 「いいじゃん、好きにさせてよ、愛の恋も応援するし」 「愛の恋」  あーちゃんとよしりんは顔を見合わせてくつくつと笑う。 「もう、それ言うの禁止」  あたしは初めて自分の名前が「愛」であることをうらめしく思った。  結構自分の名前、気に入っていたのに、好きだったのに。 「まあ、がんばって。見守るよ」  心広く、というよりあきらめたようにあーちゃんが言う。 「二人とも、面白がってるでしょ」 「だってヒマだもん」  よしりんとあーちゃんの声がぴったり重なって「ひどい」と叫んだけど、三人とも笑顔になっていた。  そして「愛の恋に乾杯」ってふざけたけど、もう紙コップの中には液体は一滴も残っていなかった。  あれ、ひょっとしてこの恋前途多難?  あたしはまだ気付いていなかった。  恋は喜びも悲しみも連れてくる。  それだけじゃない、他のいろんな感情をひきつれてあたしをこてんぱにしてしまうんだ、ってことに。
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