ーーーーーーーーーー松田side1

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ーーーーーーーーーー松田side1

   帰り道、歩きながら俺は嬉しさのあまり走り出しそうな勢いだ。  八年経ってようやくかなった俺の片想い。嬉しくてはぁ、嬉しい溜息が出る。  最初の頃のキスは俺が無理やりしていたような物だったから少し身体が強張っていた彼女。  さっきのキスは……全身の力が抜けていて全てを俺に委ねてくれていたような、こっちが気を緩めたら溶けてしまいそうなくらい気持ちが良かった。  お互いの気持ちが同じになるとこうもキスの種類が違うのかと身を持って感じた。  彼女のちょっと意地っ張りな所も凄く可愛い。 「じゃあ、また明日」とだけ聞くと、別れを惜しむ気もなく素っ気ない言い方だと他の人は思うかも知れない。  でもそうじゃない。  彼女は素直になるのが苦手なだけだ。  言葉ではツンツンしている癖に顔に出やすい。多分彼女自身は気づいていないと思うが、さっきだってそうだ。「じゃあ、また明日」と言っておきながら口をムッとつむり、少し悲しそうな視線で俺を見ていた。  正直言ってそのまま彼女の部屋に引っ張っていき身体の隅々まで愛撫してトロトロに甘やかして好きだと何度も何度も言って、可愛がりたかった。  でも俺はそのまま帰った。  いつか彼女が素直に口に出してくれるよう、俺に甘えてくれるようになるまでは気づいている事はまだ内緒にしておこうと思う。  電車に乗りスマホを取り出しメールを打つ。  もちろん彼女に。 "今日は一緒に帰れて嬉しかったです。明日も一緒に帰りませんか?"  ブブッとスマホのマナーモードが震える。 "いいわよ"  笑みが溢れる。この文章だけで俺は幸せだと思える。明日がまた楽しみになった。  スマホのアラームで目が覚める。  グッと背伸びをし、ベットから下りそのまま冷蔵庫から水を取り出し一気に半分くらいまで飲み干す。  朝ご飯は基本食べない。作るのが面倒くさいだけだ。男の一人暮らしって大抵こんなもんなんじゃないか? と思う。  顔を洗い、歯磨きを済ませ、ヘアセットをする。 身だしなみは基本中の基本だ。ワックスを手に取り前髪をあげる。なんとなくこの髪型がビシッと気合が入るのだ。  スーツに袖を通しネクタイをきちっと締める。  目が悪いので眼鏡をかける。とはいえ眼鏡なしでも日常生活に支障はないくらいの視力だ。だが仕事中は目が疲れるので基本眼鏡をかけ、出かける時などは眼鏡が邪魔なのでコンタクトに変えたりする。  でも最近会社でもコンタクトにしようかなと悩んでいる。やっぱり眼鏡はキスする時に少し邪魔だから。  鞄を持ち、玄関を出て駅まで歩く。  あと少しで彼女に会えると思うと心なしか足取りが早くなる。  一番下っ端なので一番最初に出社し会社内を綺麗にする。別に誰かに指示された訳でもなく勝手にやっている事で、会社内といっても自分の部署の部屋だけだ。このお陰でいつも早めに出社してくる彼女との二人きりの時間が十分弱くらい出来る。  ガチャッとドアが開く音がしたのでバッとドアの方を向くとやはり彼女が一番に出社してきた。 「おはようございます、水野さん」 「あ、おはよう松田くん」  今日も可愛い俺の彼女。  会社では付き合っている事は内緒だ。  ただ彼女の仲の良い同期の櫻井涼子さんと橅木圭佑さんだけは知っている。  多分男の勘だが橅木さんは彼女の事が好きなんだと思っているので正直仲良くしている二人を見るとどうしてもヤキモチを妬いてしまう。  あの時だってそうだった。  泣かしたのは俺のせいだが泣いている彼女を一番最初に抱きしめて安心させてやりたかった。  俺が好きなのはずっと水野さんだけです、って。  なのに橅木さんに先越され圧に押されて暫く動けなかった自分が情けない。  橅木さんに抱きしめられている彼女を見て悔しくて人の目も気にせずに泣いてしまいそうなのをグッと拳を握りしめて耐えた。  すぐにあの後二人を追いかけたが見事に電車に乗り遅れてしまい次の電車に乗り、彼女の駅に降りてからは全力疾走で走った。もうあれ以上の速さで走れる事はないだろうな…… 「フリーズしてるけど大丈夫?」 「えっ、あ、ちょっと考え事してました」 「なにか悩み事があるならすぐに相談しなさい」 「ん~じゃあ一つ悩んでる事があるんですけど聞いてもらえますか?」 「いいわよ」  彼女は一定のトーンで話すが、表情はパァァと明るくなり、頼られて嬉しい、と言わんばかりの表情で俺に近づいてくる。  本当にわかりやすくて困るくらい可愛い。 「実はですね……」 「実は?……えっ? ちょっと!」  俺は彼女の腰を自分に引き寄せ唇を重ねた。 彼女の塗っているリップが落ちないくらいの軽いキス。 「キスしたくて困ってました」 「何考えてんの! 誰かに見られたらどーすんのよ!」  頬を薄く染め怒っている癖に口元は緩んでいる彼女に愛おしいと思う気持ちがどんどん増えて溢れ出しそうになる。 「ははは、大丈夫ですよ、今日は俺の方が早めに終わりそうなんで適当に待ってますね」 「……分かった」  仕事モードになると彼女は一変しバリバリのキャリアウーマン化する。  この会社にやっと入社出来た時一番最初に彼女の事を探した。彼女の姿が目に止まった時、仕事を淡々とこなす彼女の姿が美しすぎて俺の周りだけ時間がゆっくり流れているのかと思うくらい彼女の姿だけが鮮明に俺の目に写った。  なんとか木島部長に教育係を水野さんにして下さいと頼み込んだお陰で今がある。 (あー、本当かわいいなぁ)
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