5月5日のエンゲージ

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5月5日のエンゲージ

「あのぉ、ちょっといいですかぁ?」  女性が一人、語尾を上げるような独特なアクセントの話し方で声をかけてくる。胸のあたりまで垂れる金にほど近い髪はくるくると巻かれていて、ばっちりと決められたメイクと合わさるとやけに華やかな顔立ちをしていた。声をかけてくる度胸も鑑みるに、自信が溢れているのだろう。言動だけでなく、それは身に着けている衣服からも手に取るように感じられた。  豊満な胸を強調するように身体へピッタリと合わさる、丈の短い白のキャミソール。同じくショート丈のカーキのブルゾン。ハイウエストのブルースキニーデニム。十センチはありそうな高さの黒いピンヒール。全体的に柄はなく、無地のシンプルなメンズライクではあるのだが、だからこそ自分の身体の美しさが強調される、着る人の限られる服装だというのが分かった。 「はぁ」  相手を一瞥した古峯瑛士(こみねえいじ)は、曖昧に返事をする。  四月最後の金曜日、午後二十時十一分。  多くの人で賑わう新宿・歌舞伎町は週末を迎えて一層の混沌を見せていた。とりわけ玄関口とも言われるセントラルロード入口前は靖国通りを挟んで、どちらの歩道も人が道一杯に溢れている状態だった。そのうち、エイジがいるのは歌舞伎町の顔とも言える大型ディスカウントストアの前で、ここでは人に声をかけるという行為が日常的に行われている。その多くは『客引き』と呼ばれる居酒屋店員のな争いであるのだが……女はどう見たってそのような類ではない。 「お兄さん格好いいですよねぇ。お一人なんですかぁ?」  続いた言葉に、女の目的をはっきりと知り、エイジは小さく息を漏らした。 百八十はないものの、ほとんどその数字に迫ったすらりとした体躯。生まれつきの色素の薄さであることの分かる、淡い金色の髪と胡桃色の瞳。顔立ちは職人が精魂を込めて丁寧に仕上げたかのように端正で、『王子様』というフレーズが似合うほど、物語の世界から抜け出てきたように整っている。頭が小さく手足の長いモデル体型をシンプルな服で装うからこそ上品さが匂い立ち、そんなエイジを道行く人のほとんど全てが一目見ては惚けた様な表情で遠巻きに見つめていた。  大方は、『こんな人が現実に存在しているのか』と自分の目を疑う事しか出来ないのだが、ある一定の、エイジほどではないが見目の美麗な者たちは、積極的に声をかけてくることがあった。大半は彼女のように逆ナン目的がだが、時々『格好いい人と話してみたい』というミーハーさから、道を訊いてくるだけの人もいる。また人が良さそうな外見の所為かアンケートの協力なども求められることがあり、端から無碍に扱う訳にもいかず、エイジは曖昧に返答をせざるを得なかった。  今回はあしらっても問題ないだろう。  分類をするまでおよそ数秒。即座に頭を切り替えたエイジは、女性に丁重な断りを入れた。 「すみません、連れが居るので」  タイミング良くその連れがディスカウントストアから出てきたので、手を挙げて合図をする。行き交う人の間をするりと抜けてきた青年――青柳和佐(あおやぎかずさ)はエイジと、その隣に立つ女性に淡い色の瞳を向けた。  橄欖石(ペリドット)の輝きを持つその瞳は、よく見ると金色の虹彩が散っている。昨今カラーコンタクトの技術も目覚ましいが、カズサの瞳は生まれつきの色だった。頭の丸みに沿って短く整えられた艶やかな黒髪と、エイジと背丈の変わらない、華奢でしなやかな身体つきも相まって、警戒心の強い黒猫の様な印象を受ける。 「……知り会いか?」  低めの甘い声は人混みの中であっても良く通る。決して声を張っている訳ではないのに、不思議だ。好きだから意識が向いているのもあるのだろうが、そもそもおそらく発声が良いのだろう。現に女性にも聞こえていたようで、ぽーっとした表情を浮かべながら「いえ、あの……」と口篭っている。  エイジは自分の肩ほどの高さにある女性を見下ろしながら、現金さを感じると同時に、一種の誇らしさを覚えた。『連れ』とぼかしたがカズサはエイジの恋人である。紆余曲折を経てようやく手に入れたカズサのことを、エイジはほとんど溺愛していた。元々好きな物には寝食を忘れてのめり込んでしまう性格だ。溺愛、というのもおよそ誇張表現ではなく的を射た言葉であると自他共に認めている。  カズサは、可愛い。  言うと本人は柳眉を寄せて眉間に皺を刻みながら、低く呻くように「可愛くない」と反論するのだが、その返し自体が可愛いと思うくらいには重症だった。つんと尖らされる薄い唇も、じとりと細められる切れ長の瞳も、むくれた滑らかな頬も、全てがエイジのツボを突いてくる。  そんな、目に入れても痛くないほど可愛がっている恋人だ。本当は独り占めしていたいくらいなのだが、カズサの希望もあって、どうにか理性を働かせて普通の生活を送っていた。だからこそなのかは分からないが、カズサに見とれる人がいると、どうしてかこちらまで嬉しくなってしまう。  綺麗でしょう。  格好良いでしょう。  でも、俺の前だけでは可愛いんだ。  そんな意地の悪いことを、つい頭の中で考えながら。  カズサに目を向けると、女性からでは状況を聞き出せないと判断したのか、緑色の瞳が上目に見つめてくる。くっきりとした幅の広い二重に、涼やかな眦。その視線に嫉妬の炎がちりちりと宿っているのが見え、エイジは唇に緩やかな弧を描かせた。 「ううん、知らない人だよ。行こうか」  促すように背中へ手を回し、反対の手でカズサからレジ袋を奪う。鮮やかな黄色のレジ袋にはディスカウントストアのマスコットキャラクターであるペンギンのゆるいイラストが白いインクで印刷されており、うっすらと、けれども主張激しく店の宣伝を買って出ていた。 「いいのか、あの人」  カズサはちらりと後ろを気にしながらもエイジの手から袋を奪い返そうと試みる。袋の中身はいわゆるつまみ系の菓子なので、嵩の割には随分と軽い。体格差もそうある方ではない男同士だから、カズサにとってもこれは苦にならない軽さだろう。それにこれはカズサに頼まれたおつかいだ。正確には『オカマバーでアルバイト中のカズサが頼まれた買い出し』であって、エイジは『一分一秒でも長く一緒に居たいがためにアルバイト先へ客として遊びに行き、買い出しにも勝手についてきた』だけである。真面目なカズサは職務怠慢と咎められるのではないかと言う気持ちもあるのだろうが、エイジには「それはない」と確信があった。  なにせ店の皆はエイジがカズサの恋人であることを既に知っている。更にエイジがであると分かった上で送り出しているのだ。でなければ出がけに「荷物持ちがいるならもっと重たい物切らしておけばよかったわ」なんて言わない。勿論、荷物持ちというのはエイジの事だ。 「いいのいいの。気にしないで」  東宝ビルを右手に曲がり、東新宿方面にせせこましい、ディープな歌舞伎町を縫っていく事少し。雑居ビルが立ち並ぶ一角に、カズサのアルバイト先であるバー『ブルース』はあった。名前は渋くて格好いいが、雑居ビルの二階に上がり、木製の重たいドアを開けた先に広がるのは女装した男性達の園だ。 「ただいま戻りました」 「ただいまぁ」  どっちが店のアルバイトなのかと疑うような挨拶で入ると、店内の至るところから「おかえり~」と声が返ってくる。テーブル席とカウンター席合わせて二十五席ほどのワンフロアは八割ほどの客入りだ。 「はい、フミちゃんこれおつまみね」  カウンターの内側に居るこの店のママ、フミちゃんに袋を手渡す。つけまつげとカラコンで盛り付けられた瞳でさっとその中身を検分したフミちゃんは、大きな手でわしわしとエイジの頭をかき混ぜた。 「荷物持ち、ちゃんと仕事したじゃない」  まるで利口な飼い犬を褒めるような手つきだったから、エイジもふざけて「わんっ」と返事をする。  エイジはこれまで誰かに対してそんな戯れをするようなタイプではなかった。寧ろふざける人を少し冷めた目で遠巻きに見ていた方だ。それがカズサという心の拠り所があり、オカマバーという特殊な空間に身を置いている事によって、少しずつ変わってきたのだろう。それが良いか悪いかの判断までは出来ないが、周囲が、カズサが笑ってくれるなら『まあいいか』と思っている。 「シゲちゃ~ん! あたりめ来たわよ~! そっちもリクエストの麩菓子、出すけど零したら承知しないわよ?」  がさがさと袋から商品を出すフミちゃんの横で、手を洗ったカズサが一つ一つ丁寧に封を開けて皿に盛りつけていく。ただのあたりめも深いブルーのペーパーナプキンが敷かれた白磁の皿に乗せられると、やけに高級そうに見えるのが面白い。小皿に七味とマヨネーズ、炙る用のライターまでを一セットにしてテーブル席へと届けられた。麩菓子はひと手間加えて、食べやすいサイズにカットされてからポッキーと一緒に提供される。  黙々と働く恋人をカウンター席に座って眺めていたエイジは、飲みかけのまま置き去りにしていったモヒートに口をつけた。氷が解けてきて味がぼんやりして来ているが、まだ何とか美味しく飲める範囲だ。 「ほんっと、カズサちゃんのこと好きねアンタは」  こんな美人が目の前にいるって言うのに。  ポテトチップスを乗せた皿を出しながら、フミちゃんがよよと嘘臭く泣いてみせた。特にはつっこまず「頼んでない」とだけ言うと、すぐにけろりとした顔でウィンクをしながら「サービスよ」と返される。笑うと唇に乗せられたラメがたっぷりと煌めいて、良い女の雰囲気が良く出ていた。  『ブルース』は雑用係のカズサを除いて全員が異性装……つまり女性の格好をしている。装いには和装、洋装と違いがあるように、そのグラデーションは様々で、バチバチにメイクを施したドラァグクイーンがいる一方、男性的な筋肉質な肉体にぴっちりとしたワンピースドレスを着た人、胸や尻にパッドを詰めて女性的な曲線を描いた人、メイクの濃淡すらそれぞれ違っていた。  ちなみにフミちゃんは中肉中背で、色こそ派手だがいつもキャリアウーマン然としたスカートスーツにピンヒール、髪はさっぱりと短いまま、きりっとした華やかなメイクを施している。見た目の印象で言うと『一番じゃなきゃダメなんですか』と詰め寄った、女性議員にそっくりだ。  そんなのお仕事は、お客さんとおしゃべりをしたり、室内の一角に設けられているちょっとしたステージでショーを行ったりすることだ。フミちゃんはオーナーでありママとして全体を統括するためか、おしゃべりだけに努めているが、他の従業員たちはお客さんを楽しませるエンターテイナーとして様々なパフォーマンスを見せていた。カズサの仕事は彼女たちの補助で、お客さんとも喋らない、ショーにも出ない代わりに細々とした雑務を片付けている。  センタープレスされた黒のズボンに白のワイシャツ、黒のサテンとベルベットのベスト。シンプルな装いであればある程カズサのしなやかな肉体に映え、夜露に濡れる花のようにしっとりとした色気を振りまいている。 「うん……好き。大好き」  踊るように滑らかにホールを立ち回るカズサを眺めながら、エイジは頬を緩めた。言い出したのはそちらだと言うのに、フミちゃんは「かーっ!」と奇妙な声を上げて腕や背中を掻きむしる。 「甘ったるすぎてムズムズするわね! 少女漫画でも見てる気分よ!」 「えっと、ありがとう?」  叱られているのともまた違う気がして、ひとまずエイジは謝辞を述べた。そんなエイジをフミちゃんはじとりとした瞳で睨みつける。ほんのりとピンクがかったブラウンのカラコンの大きな直径と、黒々と盛られたつけまつげで白目の部分は殆どない。睨みのキツさよりもその人外じみた目が怖くて、エイジは小さく肩を竦めた。 「……それなのにいいの? カズちゃんの誕生日、ここで働かせて。付き合って初めての誕生日じゃない。盛大にイチャつくいい口実よ?」  話の切れ目と理解したフミちゃんは、自分用に用意したグラスの中身を煽りながら、声を潜めた。ロンググラスに注がれた琥珀色の液体が、実は麦茶であると教えられたのは随分最初の頃だ。勿論、お客さんからの心遣いでお酒を飲むこともあるらしい。けれども基本的には仕事中の責任をきちんと取れるよう、お酒に見えるノンアルコールを飲んでいるのだと言っていた。  こういうさり気ない気遣いが大人と言う事か。  頭の隅で感心しながら、エイジもモヒートに口をつけた。 「だって祝日だから働くって言うんだもん。だから俺もバイト入れちゃった」  カズサの誕生日は五月五日、こどもの日だ。カレンダーで言うとちょうど一週間後の来週の木曜日になる。ゴールデンウィークの最終日でもある当日をはじめ、連休中もカズサはずっとバイトの予定を入れていた。  カズサはエイジの知る大学生の中で一番勤勉だ。エイジも一応一人暮らしのアパートから十五分ほどのイタリアンレストランでバイトをしているが、個人経営という事もあり、せいぜい週末と平日の夜に二日行けばいい方である。しかしカズサはおそらくほとんど毎日のように大学とバイトの行き来を繰り返し、授業の中空きには課題を片付けるなどして時間を上手く使いこなしていた。大学生と言えば一番遊んでいる年代とも言われるのに、こちらが無理に休ませない限り、カズサはなかなか休みを取らない。  心配になるが、それも仕方のないことだ。分かっているだけにエイジもなかなか強くは言えない。  というのも中流階級に属する親から多少なりと援助を受けて生活しているエイジに対し、カズサは両親と絶縁している。他に兄弟もないから、誰からの援助があるワケでもなく、大学も日常生活においても自分で稼ぐ必要があった。幸い成績優秀者として入学金と授業料の免除(前年度の成績が学部上位五パーセント以内をキープしていれば二年時以降も免除を受けられる。これをカズサは入学当初から利用)をしているが、お金はあるに越したことはないと言うのがカズサの言い分だ。 「でも、その代わり週末は一泊二日の小旅行に行くよ」  目を上げるとフミちゃんはカウンターの内側で小さく頷いた。 「休むことは聞いてるわ。でも旅行は初耳よ。どこ行くの?」 「そんな遠い所じゃないよ。箱根」 「……年寄りなの、アンタたちは」 「カズサに言ってよ。『どこか行きたいところある?』って聞いたら『温泉』って言ったのはカズサだもん」  エイジの唇が微かに尖る。拗ねたような口ぶりをするのは、エイジはそれこそ大学生のカップルらしく夢の国にでも行こうかと密かにプランを練っていたからだ。カズサのことだから『どこでもいい』と答えるだろうと予想して、しかしチケットを取る前に念のため尋ねたところ、思いの外しっかりと『温泉』と答えられてしまって、泣く泣く計画を変えたという経緯がある。 「あー……まあ、あの子が遊園地とか行きたがりそうもないしねぇ……」 「どっかでタイミングみて誘おうとは思ってるけど、なかなかね。こればっかりは好みだし、まあ俺はカズサと一緒に居られたらそれで十分だから、正直どこでもいいんだ」 「はいはい。お腹いっぱいよ、そういうのは」  フミちゃんは手を払うような仕草をすると、辟易としたように声を漏らす。だがその口元は笑っていて、どこか安堵したように「でも納得してるなら良かった」と胸の内を明かした。 「うちの従業員はみんな、誕生日には派手なパーティをするのよ。お客さんも含めてパァーッとね。これまでも乗り気じゃないカズちゃんを無理矢理祝って来たけど、今年はアンタがいるでしょ? だからどうしたものかと考えてたのよ。だって、恋人と過ごす誕生日って特別じゃない。エイちゃんのことだからカズサちゃんを独り占めしたがるだろうし~って思ってたのに、カズサちゃんは普通に出勤の希望を出して来たでしょ。だからもしかしたら誕生日だってことを伝えてないんじゃないか…って勝手にヤキモキしたりしてね」  なんだかんだ言いながら、フミちゃんを始め『ブルース』の皆はエイジとカズサの恋路を全力で応援してくれている。三年ほど一緒に働いているカズサが可愛くて仕方ないというのが勿論一番だろうが、肯定してくれる人たちに囲まれる空間というのはエイジにとっても有り難い。 「さすがに誕生日は聞いたよ。パーティの事は知らなかったけどね」  肩を竦めると、フミちゃんは長い睫毛をばさばさと羽ばたかせる。 「あら、そうなの? 来る? 毎年太っ腹なお客さんが沢山いるから、アンタもタダ酒飲めるかもしれないわよ」 「うーん、どうかな。カズサには『連休中は忙しいから来ないで』って言われてるから。さっきも言ったけど、バイト入れちゃったしね。うちも接客業だから休日の方が掻き入れ時だし、週末を休ませて貰う分、そこは大人しく働こうかと思ってるよ」 「でもあんたいつもバイト終わりで来てるじゃない。あんたの所が終わるのは二十二時、うちは朝の五時。大学生だから十二時過ぎにカズちゃんは帰すけれど、それでも一時間くらいはうちに居られるでしょ?」 「来ないでって言われてるのに?」 「本気で言ってんの? そんなの照れ隠しに決まってるじゃない。カズちゃんのことだから『自分の誕生日パーティに来て』なんてことは口が裂けても言えないんでしょ」 「それは分かるけどね」  カズサは自分のために何かをして貰う事を酷く苦手にしている節があった。申し訳ないとか、そういう気持ちが勝るらしい。パーティも毎年『無理矢理祝って』と言っていたし、乗り気じゃないのを何とか堪えて働いていたのだろう事が知れる。毎年祝日になってしまう誕生日だけに、カズサとしては出ない訳にはいかないと言うジレンマが相当あったはずだ。 「ま、次の日の学校の事なんかは知らないから、最終的にはアンタたちの勝手よ。……でも、いくら旅行するとはいえ、当日に『おめでとう』って言って貰えるのが何より嬉しいんじゃないかしら」  唇に微かに笑みを浮かべたまま、けれど真剣な眼差しに射抜かれる。どう返したものかとまごついているうちに、フミちゃんは他のお客さんに呼ばれてエイジの前から離れてしまった。  どうするべき、なのだろうか。  一人になったエイジは考え込むような顔で薄いモヒートを嚥下した。 *    *    * 「「「「「お誕生日おめでと~!」」」」」  きゃっきゃとした、華やかながらもハスキーな声を皮切りに、お祝いの声が飛び交う。その中心に立たされたカズサはおずおずと周りを見回しながら、小さな声で「ありがとうございます」と謝辞を述べた。  戸惑うように手が自分にかけられたタスキを弄る。  いつもの給仕服に加え、今日はカズサの右肩から左腹部にかけて、紅白のめでたいタスキが下がっている。いまや百円ショップで買える『本日の主役』と書かれた安いタスキは、誰かの誕生日の度に引っ張りだされているのでくたびれているが、その分何度もこの店でお祝いが成されている事を示していた。  オーナーからシャンパングラスを持たされ、乾杯の音頭を取った後、カズサは来てくれたお客さんに一人一人お礼を言うため、テーブルを回っていく。  普段は雑用係として黙々と働くカズサにとって、誕生日は一年の中で一番人と話す日だ。普段は最低限の業務的な会話しかしないというのに、まさか自分のために来てくれる人がいるなど思わないし、プレゼントを貰う事になるとも思わず、三度目となった今回もやはり新鮮に驚いてしまう。  それでも今年は困惑よりも、純粋に『嬉しい』という気持ちが勝った。 自分の事をこんなにも気にかけてくれる人がいる――エイジのお陰でカズサはようやくその事実に気付けたのだ。  ずっと、自分には何もないと……一人ぼっちだと思っていた。  店の中でも自分だけが黒羊。毛色の違う異形だという自覚はある。右も左も分からないまま手痛い洗礼を受けた世間知らずな自分を、成り行きで助けてくれたマコちゃんとオーナーには感謝はしているけれど、それでもずっと『自分の居場所ではない』という気持ちだけが胸の中に強くあった。  だから、あの時は捨てることが出来た。  居場所ではないと見限ることが出来た。  そんな自分を追いかけて来てくれたのがエイジだ。  東京から南に千九百五十キロ。沖縄は石垣島までわざわざ追いかけて来てくれたのは、確かにエイジだけだった。けれど、エイジ一人の力ではない。みんなが心配してくれて、自分たちの思いをエイジに託したからあの場所で巡り合えたのだ。  俺にはこんなに立派な居場所があったのに。足元を見てばかりだったせいで、全く気付けなかった。顔を上げれば雨風の凌げる温かな場所だったのに。今では噛みしめるたびに目の奥が熱くなる心地がする。  だからか、これまで頑なに交流を避けていた例年とは違い、今年はぎこちないながらもはにかむような微笑を浮かべて、挨拶をして回った。普段ほとんど愛想なく振舞っているからか、どのお客さんも飛びあがる程喜んでくれて、今までにない熱量でラブコールを受ける。勿論、このラブコールは『付き合って欲しい』といった類ではなく、どれかというと至高の芸術品を湛えるかのように、とカズサの美しさが語られた。例えば今カズサが話している客の話を聞くと「やっぱりこの店に通うからには異性装のカズサくんが見たいけれども、それはそれとして、黒猫のようにしなやかで凛とした佇まいが何とも気品に満ち溢れていて、かと思うとその白磁の肌と桜色の可愛らしい爪が……」……とまあ、こんな具合である。  恋人であるエイジもわっとなると早口でカズサの事を褒めそやすが、誰しも自分の好きなものを語り出すと想いの量が饒舌さに拍車をかけるらしい。過分な評価に圧倒されながら、カズサの視線がちらりとドアの方へと向けられた。  カズサが今いる席は出入口であるドアを若干背にしたテーブル席だ。移動して回ることが前提のため、自分は通路側の席に着き、お客様は左手側の壁側に座ってもらっている。  ちなみに、正面にはカズサが離れている間の話相手として、このお店で一番の新人である『みゆっき~』が付いていた。新人と言ってもここに入って半年になるみゆっき~は二十五歳とまだまだ若く、盛り髪キャバ嬢系への憧れから、この世界に踏み込んだという。今日はパーティという事もあり、なおさら力が入っているようで、金に近いウェーブヘアーを垂直に高く盛り、花やラメでゴージャスに飾っていた。ドレスも全身シルバーのラメで出来たミニドレスで、足元は十五センチのピンヒールと、惜しげもなく綺麗な肉付きの脚を晒している。  カズサへの愛を爆発させるお客様と、先輩であるカズサが褒められている事に対してずっとにこにこと頷きながら聞いているみゆっき~を前に、カズサは小さく息を吐いた。  自分から『来ないで』と言ったくせに、つい目がエイジを探してしまう。こんな気持ちを分からせたのはエイジなのに、一番居て欲しい人がいない……それは酷く寂しい事なのだと、カズサは初めて思い知った。   今日こそ空気を読まないで欲しい。ついそんな我儘な事を思う。と言うのもいつものエイジは何度注意をしても勝手に店へと遊びに来ていた。とんぼ返りになると分かっていても来る事だってしょっちゅうある。だというのに、この三日間は本当に一度も姿を見せていなかった。  お互い一人暮らしの身なのでバイトをしないと生活が出来ないのも分かっている。誕生日のメッセージだって、日付の変わった十二時丁度に貰った。それで本当は満足なのに……ううん、満足しなくちゃならないのに、いつのまにか自分は欲深い人間になってしまっているようだ。  嫌われるだろうか。  だが『恋人なんだからいつでも会いたい』と言うのは決まってエイジの方だ。だからエイジの言葉を借りるなら『会いたい』と思う気持ちは我儘には入らない……はずだ。  落ち着かない気持ちのまま出された十号のスクエアケーキのろうそくを消し、お客さんが入れてくれたボトルをみんなで開け、絶えずお客さんの相手をしていること暫く。二十三時半を過ぎた頃になって、久しぶりにドアベルがからんと音を立てるのが聞こえた。 「ごめんなさい、満席なの……」  背後でオーナーが入店者対応するのが微かに聞こえる。店内の中では割合ドアの近くに座っているカズサですら、そこから先は上手く聞き取れなかった。それくらいに店内が賑やかしく、またお客様の相手で手一杯になっている自分に気付く。 「カズサくん?」 「っ、はい」  隣から呼ばれて顔を向けると、お客さんがシャンパンのボトルを持っていた。自分のグラスの中身が減っている事にそこで気付き、ありがたく頂戴する。  このお客さんはオーナーのファン一号を自称していて、その延長線なのか、カズサの事もまた目をかけてくれる太客だった。今の所カズサの誕生日には欠かさず出席しており、いつも一本七万円するベルエポックを、一杯ずつではあるがここに来た全員に振舞ってくれるし、金払いはバブルかと思うほどに良い。  『ブルース』では誕生日の日の売り上げ余剰金は、そのまま誕生日プレゼントとして現ナマで渡されることになっている。お客さんもその仕組みを知っているからか、いつも以上に「お小遣いにして」「チップにしておいて」と会計金額よりもいくらか上乗せして支払ってくれることがあるのだが、このお客さんはカズサが苦学生であることを知っているからか、はたまたあまり物を持たないのを知っているからか、プレゼントを持ってくる代わりにそれこそたっぷりと大金を支払ってくれた。  それも一万とか十万なんてものではない。  去年はそれこそ学費が半期分支払えそうなほどだった。  流石に多すぎて眩暈を覚えたカズサは全部を貰う事は辞退し、ほとんど泣きそうになりながら「そこまでして頂かなくても大丈夫です」と怯えながら頭を下げたため、今年は大丈夫だと信じたい。……が、正直終わってみないとどうなるかは分からないのが現状だった。 「今年は沢山人が来ているね。大丈夫? 疲れてない?」 「はい。大丈夫です。ありがとうございます」  ぺこん、と一礼をするカズサのすぐ傍で、こつん…と靴音が鳴る。ちょうど音の切れ目だったのか、その音がやけに耳に真っ直ぐ聞こえた気がした。  ふと何か惹かれるように振り返る。  カズサの美しい緑色の瞳が、驚いたように見開かれた。 「うそ……」  なんで。  思わず声を漏らしながら、カズサは傍に立っていた男を――エイジを上から下まで眺めた。  ダークネイビーのシャドーストライプが入った細身のスリーピースに、まっさらな白いワイシャツ。赤いネクタイには白で細いストライプが入り、よく見ればその線を挟んで明るい赤と濃い赤の三角形が規則的に並んでいる。ベストの間からちらりと見えているベルトは靴と同じく同じモカブラウン。髪型はいつもくせっ毛が広がらないようにと軽くワックスで整えているだけだが、今日は左側を大きく掻き上げ、整った顔立ちを惜しげもなく晒していた。そのまま下目の位置で緩くハーフアップにしているらしく、ただスーツ姿と言う以上にぐっとドレッシーな装いと言えた。  そして、元々人目をよく惹くというのに、正装なんてされてしまうと、テレビや物語の中の世界かと錯覚した。キラキラしすぎて思わず目を眇める。 「カズサ、お誕生日おめでとう」  歌うように柔らかな耳触りの声で、ふわりと笑ったエイジは、後ろ手に隠していたものをカズサの前に差し出した。ネクタイと同じ、光沢のある真っ赤な薔薇だ。  カズサが反応するよりも早く、周りから黄色い(というより玉虫色っぽい)声が上がる。 「これを持って歩いてきたのか……?」  まだ少し理解できないまま受け取ると、花束は大きすぎず、ちょうど腕に収まる良いサイズだった。同時に噎せるほど濃密な薔薇の香りが立ち込める。 「うん。こんな花束作って貰うの初めてで緊張しちゃった。珍しいらしくて凄いジロジロ見られたし」  それは花束の所為だけじゃなくてお前の容姿が目立つからだ……とは流石に言えない。嬉しさと気恥ずかしさからもごもごと「ありがとう」を述べると、エイジから「待って」と声が上がった。 「もう一個、プレゼントがあるんだ」  そう言ってエイジは音もなくその場に片膝をつく。あまりにも流れるような仕草で行うから、一瞬なんのことだか分らなかった。どこから取り出したのか、左手に黒いベルベットの小箱をのせたエイジは、恭しい手つきでその蓋を開く。 「本当は旅行先で渡そうと思ってたんだけど、結婚……じゃないか。えっと、これからも末永く一緒に、宜しくお願いします」  箱の中には華奢なシルバーの指輪が一つ。  丁度天井からのライトが当たるのか、さりげなく嵌めこまれた一粒の石が燦然と輝きを放っている。  薔薇に指輪。  そうして同性であることを考慮してか言葉を改めてくれたけれど、それはつまり。 「……カズサ?」  そっと訊ねられて、カズサは初めて自分が泣いている事に気付いた。 「……っ」  手の甲で拭うが、堰切ってしまったものは止められず、後から後から溢れてくる。鼻を啜って顔を背けると「早く答えてやんなさいよ!」というオーナーの声が飛んだ。それまで息を呑んで見守っていた従業員(仲間)たちも、やんややんやと囃し立てる。  分かってる。  俺の方が先に好きになったんだ。  頷くだけでいいのに、受け取るのが怖かった。  エイジといると幸せな事ばかりで。けれどそんな状態ばかりなんて事はないからいつか終わるんじゃないかと怯えて。  受け取ってしまったらエイジか自分に何か悪いことが起こるんじゃないかと思う気持ちが、どうしても拭いきれなかった。  そんなカズサを見かねたように、エイジはくすりと笑みを溢す。 「言い方変えようか。……一目見た時から、カズサの事が好きになった。これまで自制が効いてたのは俺の意志が強かったからじゃなくて、そこまで魅力的な人が居なかったんだって気付かされた。もうカズサ無しで生きていくことは考えられない。だから……お願い。俺のために、これからもずっと傍に居てくれる?」  涙で滲む視界でも、エイジの優しい表情が見て取れた。  狡い。  そんな感情を抱くのと同時に、とてつもなく愛おしさが込み上げる。  さも自分が困るからという素振りで。  助けるために受け取って欲しいと言って。  そうすれば受け取る口実が出来るから、と。  自分の情けなさやみっともなさなんかもお構いなしで、なりふり構わずプロポーズをしてくれる。そのことが嬉しくて堪らない。  きゅっと唇を引き結んだカズサは、手を伸ばすと指輪ではなくエイジの肩に手をかけ、顔を寄せて唇に口付けた。人が見ているとか、もうどうでもいい。  俺は、エイジが好きだ。  一拍遅れて、わっと周囲の沸く声が聞こえてくる。割れんばかりの拍手と囃し立てる指笛で、室内には祝福の音が響き渡った。  身体を離すと胡桃色の瞳が驚いたように丸くなっていた。 「……なんて顔してるんだ」 「あ、や、カズサからキスしてくれるとは思わなくて……本当にいいの?」 「俺が断ると思って用意していたのか?」 「そりゃ受け取って欲しいとは思ってたけど……はは、なんか、気が抜けたかも」 「まだ早い」 「えっ?」  きょとんとしたエイジの前に、左手を差し出す。こんな機会二度とないのだから、折角ならエイジに指輪を嵌めて欲しかった。すぐに意図に気付いたようで、ケースの台座から指輪を抜き取ったエイジは、壊れ物でも扱うように丁重にカズサの手を取ると、左手の薬指に指輪を通した。  ひやりとした滑らかな金属は、一瞬第二関節で引っ掛かりながらも根元に収まる。表面に一粒だけ嵌められている石が、ケースの中で見るより一層鮮やかに輝いた。 「凄い……」  手を顔の前に翳す。少し角度を変えるだけで石の輝き方が変わるのを、ずっと見入ってしまいそうだ。  鼻をすん、と啜りながら蕩けるような表情を浮かべるカズサに、声をかけようとしたエイジの身体は横からの衝撃で跳ね飛ばされた。 「カズサちゃん! アタシにも指輪見せて!」 「ほらほら、結婚会見とかでよくやるみたいに顔の横に左手を持って来て!」 「あ~んやだもう泣けてきちゃったわ~」 「メイク落ちると余計にブスねあんた」  ぎゃいぎゃい言いながらカズサを中心にしてあっという間に輪が出来上がり、入る隙を失う。あまりの出来事に呆気に取られたエイジは、思わずカウンターの方へと目を向けた。輪の中に加わっていないオーナーのフミちゃんと、カウンターで飲んでいたマコちゃんが同時に肩を竦める。そんな所で血のつながったシンクロをしないで欲しい。 「追い出されちゃった」  エイジは壁へ突入することを諦めてマコちゃんの隣の席へと腰掛けた。離れて見てみると他のお客さんたちも完全に置き去りにしたまま、店の従業員たちでカズサを取り囲んでいる。みんな手にスマートフォンを持ち、記者会見の如くシャッターが押されていた。 「そりゃそうよ。『おめでとうを言え』とは言ったけど誰も『プロポーズをしろ』なんて言ってないんだから」  呆れたように言いながらフミちゃんがグラスを出してくれる。透明な液体を口に含むとそれは水で、緊張からか砂漠のように口腔が渇いていたエイジはそのまま一息でグラスを空にした。そのままバイオレットフィズを頼む。いつだったか他のお客さんが頼んでいたのを見て、鮮やかな紫色が珍しく、飲んでみたくなって作って貰って以来、時々頼むようになっていた代物だ。  ひらりと手を上げて作成に取り掛かったフミちゃんの代わりに、横からマコちゃんがエイジの肩を叩く。 「アンタ、あれ打合せも無しにやったの?」 「やった……ダメだった?」 「いくらサプライズって言ったって、周りには話を通しておくもんよ、普通」  空になったグラスを交換するようにバイオレットフィズが置かれる。フミちゃんが戻ってきたことがそれだけで分かったので、エイジはちらりと目を上げると「ごめんなさい」と素直に頭を下げた。 「まあ面白かったからいいわよ」 「まーたアンタはそういう事言う」 「逆だったらアンタがそう言うじゃないのよ」  いとこ同士のフミちゃんとマコちゃんの間には遠慮がない。バチバチと火花を散らすように睨み合ったかと思えば、どちらともなく「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。タイミングも言い方も流石と言うべきかそっくりなのだが、それを言うと矛先がこちらを向くことを知っているエイジは静かにお酒に口をつけた。 「そう言えば、アンタ自分の指輪はどうしたのよ」  フミちゃんは指を伸ばすとエイジの左手薬指の根元をとんとん、と叩いた。確かにエイジの手には指輪は嵌っていない。だがジャケットの左ポケットに剥き身のまま滑り込ませてあった。 「付けて渡すべきなのかその辺分からなくて、結局悩んで外したんだよね」  取り出して嵌めれば、全く同じデザインの指輪がカウンター上の照明に反射してきらりと光る。  売り場のお姉さんに訊いたところ、プロポーズの際にはケースに相手の指輪だけ入れて送るのが一般的だと説明された。結果そればっかりに意識が行っていて、自分の分をするタイミングを訊きそびれてしまったことが、今回の失敗点だ。  全部スマートにこなすのはまだまだ難しい……。  むぅっと唇を突き出しながら悔しがるエイジの手をフミちゃんが引っ張って明かりの元に晒す。流れるようにマコちゃんも覗き込むあたり、やはり根本的には似ているのだろう。 「は~~~キラキラしてるわね」 「ねえねえ、これダイヤ? まさかダイヤの指輪を用意したの?」 「まさか。大学生にそこまでの財力は残念ながらありません~」  平打ちしたシルバーの土台に埋め込まれた、およそ二ミリメートルの石は、い輝きを放つものの、ダイヤより格段に劣るジルコニアだ。こちらが一つ六千円程度で買えるのに対し、同じようなデザインでダイヤとなると、ゼロの数が一つ増える。それなりに裕福な家庭に育ったとはいえ、現在一人暮らしをしている身としては、その数字はあまりにも手痛い。それでなくても想定外だった石垣島への旅行や週末の温泉旅行もあるため、指輪にお金をかける余裕がなかったというのもあった。  しかし。  やはり無理をしてでもダイヤにしておくべきだっただろうか。  ここでも自分の不甲斐なさに凹んでいると、突如としてマコちゃんの手により背中が張り飛ばされる。 「いっ…!」 「なんて顔してんのよ」 「ねえ、今結構痛かったんだけど?!」 「しけた顔を変えさせるにはそれぐらい必要でしょうが」  そういえば前にカズサが居なくなったことを相談した時も向こう脛を蹴られたと事を思い出し、エイジの顔がきゅっと渋い表情を描いた。それぐらいで損なわれるような美貌ではないが、世界広しと言えどもモデル並みに整った容姿のエイジを遠慮なく弄り倒すのは、カズサも含めてこの店の者たちぐらいだ(殴られた事は別として)。 「別にいいじゃない、ダイヤじゃなくても。カズちゃんには高いかどうかなんて事よりも、『エイちゃんから貰った』って事が一番大切なのよ」 「そうよぉ、見なさいあの顔。こっちが堪らなくなるわ」  急に声のトーンを落とした二人に、言われるまま振り返る。いつの間にかお客さんも含めて一層大きな輪に囲まれているようだ。隙間から何とか覗き込むと、目が合い、そして恥ずかしそうにしながらも手が小さく振られるのが見えた。途端、あまりの可愛さに胸がきゅうっと締め付けられるような甘酸っぱさが込み上げる。 「はー……可愛い」  相貌を崩しながら手を振り返したエイジから、思わず小声で本音が零れる。隣にいたマコちゃんにはしっかりと聞こえていたようで、「……分かるけどガチのトーンで言うのは止めて」と呆れるように咎められた。 「これで週末の旅行はハネムーンね」 「狼になるんじゃないわよ、アンタ」  双方から遠慮のない小突きが飛んでくる。 「はい…分かった、痛いってば」  若いエイジはもう、されるがままだ。  その様子をそっと見つめていたカズサの頬が自然と緩む。それはまるで花が綻ぶような、美しく、愛おしい微笑みだった。   ≪終≫
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