1 短いプロローグ

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1 短いプロローグ

僕ーー皆見響にとって、妄想することとは呼吸と大差ない関係だった。人間が呼吸することに疑問を持たないように、僕にとっての妄想も至極当たり前に行われていた。 「響、おはよう!」 「おはよう。朝から元気だね」 「これが俺にとっての普通なんだよ!」 「はいはい、分かった分かった」 僕たちはこの会話から始める。友達との会話が僕の心に平穏をもたらしてくれるのだ。 「どうだ、学校には慣れたか?」 「まあまあかな。父さんも心配しなくていいよ。」 父さんは毎日遅くまで働いているのに、愚痴1つもこぼさない。自分のことより、僕のことを心配してくれる。そんなところが好きだ。 「父さんも心配なんだ。転校して、友達できたかなってさ。」 「大丈夫だよ。少しずつ慣れていくから。」 「そうはいってもなあ…」 そうやって当たり障りのない会話が続く。とても和やかで、落ち着く時間だ。 「それじゃ、父さん会社に行ってくるから」 と会話は終わった。 「行ってらっしゃい。」 ここまでが、僕の妄想のワンセットだ。 僕はこんな妄想を毎日続けている。病的に見えるかもしれないが、これが僕にとっての正常なのだ。僕の現実には友達はいない。父親とはこんな会話はしないし、そもそも父親はいない。重労働でクタクタの弱った母がいるだけだ。 父親と母親は互いを嫌いあっていた。彼の目から見ればなぜ結婚したのかと首をかしげるほどだ。それでも2人は結婚した。僕は愛の力などではなく、結婚適齢期をすぎることへの焦りによる悲劇と解釈することにしている。愛など結局そんなものだ。結局2人は離婚した。 「小説なんて書くな。馬鹿馬鹿しい。」 父親は言う。淡々と。 「そんなことより勉強していい大学へ…」 母親はいう。淡々と。  2人に『2次元』という世界は存在せず、またその存在を認めなかった。この言葉が響に与えられた唯一のプレゼントだ。冷たい絶縁状だった。母とも口を聞かなくなった。まるで他人だ。家族なんて必要ないと自分に言い聞かせる。 友達の方はいつになっても作ることが出来なかった。作る気がなかったと言った方が正しいかもしれない。僕にとっては妄想がすべてで絶対だった。友達という不確定で曖昧なものより、妄想の方が信じられる。そんな考えだった。常人からすれば異常に見えるだろうが。 「響ー!!」「響ちゃん」「響先生!」 「響軍曹!」「響様!」 「響さん」 響と名前を呼んでもらえることを脳内で妄想する。ここには理想しかない。理想しか作らない。こんなに妄想をするのは、叶えたいからじゃなく叶わないからだと自覚していても、僕にはやめることができなかった。をどうすればいいというのだろう? そんな一種の諦めと諦観の日々に変化は起こらなかった。ここがファンタジーの世界ならまだしも、ここは3次元だ。いくら妄想に生きていても肉体は現実にある。そんな虫のいい話はないーーと思っていた。あの時までは。 「ご飯は作ってるから、早く食べて勉強しなさい」 母親からの冷情を受け取り、席に着いた。 「まず…」 そんな言葉を噛み殺して飯をかきこんだ。味を感じさえしなければ、理論上苦手なものは無くなる。そうしてご飯をかきこみ、2階の部屋に閉じこもった。そうして勉強をーー始めるわけもなく、小説を書き始めた。理想と愛と少しの皮肉を込めた、僕だけの世界を構築する。 「あと少し…」 小説を書くことはそこまで好きではない。でも小説を書いて有名になる妄想をするのは大好物だ。これは妄想の実現ではなく、妄想の補強なのだ。小説を実際に書くことで妄想のリアリティを追求していく。これを笑える人はさぞ幸せな現実を歩んでいるのだろう。 「ここの表現を…こうして…」 「何、してるの。」 慌てて振り向くと、母親の顔をした悪魔がそこに立っていた。その悪魔は悪魔以上の顔をして、 「どうして、そんなことするの。私は信じてるの。あなたが素晴らしい人間になれるって、それなのにあなたって子は!」 聞く価値もない。僕の耳は高価なのだ。消耗品である耳に、こんな戯言を聞かせるなど、人生の消耗だ。そうして無視を決め込むと、悪魔は小説の原稿を取り上げた。そうしてビリビリに破いた。それだけだ。 「あなたには失望しました。所詮あの人の息子なのね。」 そうして階段を降りていった。 あなたの息子ですよ、とは言わなかった。空気は吸うものだが、読むことを軽んじるほど馬鹿じゃない。 「はあ…せっかく書いたのになあ。」 感情的にはならない。なったら負けだ。こういう時にこそ妄想に逃げる。それしか解決法を知らないだけだ。そう生きてきただけだ。 「可哀想だな、響くん」 「…え」 これは僕が妄想して作り上げた声ではない。どころか、その姿は机の後ろのベッドの上にはっきりと投影された。 その投影された絵はひとりでに動いて、破かれた原稿を拾った。 「こんなに頑張ったのに。私はこの小説好きなんだけどなー。」 そうして原稿を眺める絵は可憐な姿だった。 年齢は今年17歳になる僕と同年代で、話し方に愛嬌がある。髪の毛は白色で、絵画の空白を思わせる美しさだ。服もまた白のワンピースに包まれていて、その美しさを助長する役割を果たしている。 そんな美しさの彼女を意識の隅に追いやると、僕は寝不足なんだと考えた。思えば、小説を描き始めてから睡眠時間を削っていた。これは自分の理性が暴走して、ありもしない幻覚を見せているんだと自分に結論づける。でもその推論は2秒で崩壊した。 「大丈夫?顔真っ青だよ?」 幻覚が額に触れた。暖かった。それは幻覚や妄想には成しえない、生者だけが持ちうる特権だ。その手を振り払い、向かい合う。 「君は一体なんなんだ?どうやって家の中に入ってきた?」 「さぁー。」 「答えろ!!!お前は一体…」 そんな押し問答をしていると、 「うるさい!黙って勉強しなさい!」 と悪魔が1階から上がってきた。さっきよりも怖い形相だ。 「そんなに小説なんかが書きたいなら、家から出ていくのね。勉強しかあなたには取り柄がないんだから。」 捨て台詞を吐くと、のしのしと降りていった。 「ありゃりゃ。怖い顔してたね。」 怒られたことにも微かな驚きはあるが、それよりも大事なことがある。それは、 「母親からは見えていない?」 いきなり同年代の美少女が出現したら、まずはそっちに目が行くはずだ。でもあの悪魔は、目もくれずに僕を叱った。 「君は僕にしか見えないのか。じゃあやっぱり…」 君は幻覚だ、と結論づけようとすると、 「響くんの手、冷たいね。」 強引に手を繋いできた。慌てて響は振り払うと、幻覚はクスッと笑って、 「恥ずかしいなら言えばいいのに。」 と呟いた。そして、 「私は君の妄想の1人なんだよ」 と言った。聞いてもいないのに、律儀なことだ。 少なくても幻覚がここに存在しているのは確からしい。そしてひとつの仮説を立てる。もし百歩譲ってこれが妄想の中から出てきたものとしよう。でもそれはありえない。なぜなら、 「君を妄想したことはない。僕は君を知らないんだ。」 そもそも僕の『憧れの女性像』は、髪はショートで快活な女の子で、それしか妄想したことはない。目の前の幻覚とは似ても似つかないのだ。 僕の妄想の中に彼女は存在しない。全く新しいところから生えてきたのだ。なのに既視感が頭を駆け巡る。謎は深まるばかりだ。 「君は、何者だ?」 「尋ね方が悪いね。そんなんじゃ答える気にもならないよ。」 小悪魔めいた目で彼女は挑発する。響は息を整え、その問いを口にする。 「君の、名前は?」 「ふむふむ、いい問いだね。合格合格」 そんな一言に艶やかさが混じる。 「私の名前は二スカリカ。これからよろしく、響くん?」 そうして彼女ーー二スカリカとの日常が始まる。あまりにも多くの謎を残したまま。 ここまで読んでいただきありがとうございます。初めて書く小説で至らない点もありますが、気軽に読んで頂けると幸いです。二スカリカとは一体何者なのか。響はこれからどうなるのか。作者はこの物語を書き上げられるのか。楽しみにして頂けると幸いです。
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