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2 二スカリカ
「早く起きないと、寝坊しちゃうよー?」
僕が起きた時、幻覚ーー二スカリカは体を揺すってきた。力が強い。
「……起きるから。」
「それ、20分前から言ってるよ?」
そんなふうにはにかむ彼女は制服を着ていた。しかも僕と同じ学校の指定服だ。
「そもそも、僕は君が存在していることを認めてないからな。こんなことあるはずない。」
僕は最初、自分は妄想を具現化させる力が手に入ったと誤解していた。しかしいくら祈っても、憧れの幼なじみはおらず、僕が軍曹として敵を殲滅する光景も現実にはならなかった。その事実にげんなりとすると同時に、そんな夢物語を信じていた自分に嫌気がさした。
「……そんなに信じれない?」
「信じれないね。信じたくもない。」
そんな風に会話しながら1階に降りると、
『食べなさい。』との書き置きがあった。
仕事に行ったのだろう。母は朝から晩まで毎日仕事に行っている。妄想と違うのは働くのは父ではなく、文句をいつも僕にぶつけるくらいだろうか。
「ちゃんと朝ごはん食べなよ?朝ごはんは三食のうちの金メダルだからね。」
「はいはい」
今日の朝食は、米と卵焼きとウィンナーだ。いつも同じメニューなので、そんなに驚くものでもない。ないが、
「すごい美味しそうだね!こんな料理が毎日食べられるなんて……!」
隣ではしゃぐ妄想だけが、例外だった。こんな辺鄙な料理の何が珍しいのだろうか。嫌味で言っているわけではなさそうなのが嫌味に思えた。
ご飯を食べ終わり、顔を洗って制服に着替えた。
「行ってきます!」
「ここはお前の家じゃないからな」
「頑なだなー。君の妄想なんだから優しくしなよ。」
「だから…」
そんな会話をしながら登校する。傍から見れば独り言をつぶやいているようにしか見えないだろう。傍から見る人なんて、知り合いにはいないが。
「響くんの学校生活は、どんな風なのかな?」
「僕の妄想なら、分かるんじゃないか?」
「君の妄想でも、分からないことくらいあるよ。君だって私のこと、何も分かってないでしょ?」
「…」
無言が答えだった。実際、この幻覚について知り得る情報は何も無かった。二スカリカ、という名前に既視感があったが、それが何を意味するかは分からなかった。魚の小骨が刺さったような気持ち悪さだ。しかもこうやって妄想と会話までしている。自分は何をしているのだろうとため息が出た。
「ため息は幸せを逃がすんだよ?」
「僕にとっての不幸がここにいるからね。」
油断だけはしないと、改めて自分を戒め、校門をくぐった。
そして放課後。
「何にもなかっただろ?」
「何にもなかったね。んー」
不服そうにしている彼女には悪いが、学校生活などそんなものだ。僕の場合、美しい恋愛も温かい友情もクラスでやり遂げる行事も喜も怒も哀も楽もない。そこにあるのは無だった。何にもない、空っぽ。その思い出の色を尋ねられたら、十人十色といえども、満場一致で答えが出る。灰色だ。僕は灰色だった。
「まさか誰にも話しかけられないとは……!思ったよりも闇は根深いね……!」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ?僕の学校生活を見て何にも思わないのか?」
「可哀想だなとは思うけど、響くんの良さを知っているのは私だけだと思うと、嬉しくてね。」
「……僕の何を知ってるっていうんだ?」
冷静に声に出したつもりだった。でも声は震えていて、怒りの感情を隠しきれていなかった。
「響くんは友達がいないし、家族にも邪険に扱われている。ちょっと勉強ができて、小説を書くのが趣味、ってことぐらいは分かるよ。」
幻覚から見ても僕のことを無個性だと思ったらしい。紙に書けば数行で収まるほど、僕の個性は薄まっていた。
「結局そのくらいだろ。」
「そのくらいだね。でも十分だよ。」
彼女は寂しそうに微笑んだ。
それきり、会話はなかった。
次の日。
今日は土曜日だ。外は雨に打たれていて、外出日和ではない。こんな日は妄想に浸って、どうしようもない自分を慰める。休日の楽しみだ。
「響くん、おはよう!」
「……何?」
「挨拶しただけで、そんな顔しないの。」
妄想中に幻覚に邪魔される。こんな皮肉は他にはないだろう。
「今日は何をするの?」
「妄想するんだ。休日に自分のしたいことをするのは当たり前だろう?」
「外に行こう、響くん。」
脈絡のない幻覚だ。だいたい外は雨だし、ちょっと寒いし、いいことはない。
「何言ってる?外を見てみなよ。」
「外を見て言ってるの。行きたい所があるの。だから着いてきて。」
「メリットもないし、行く価値がないよ。」
今日は妄想日和なのだ、この一時を邪魔するものは誰であれ敵だ。
「怖いんだね?外の世界が。」
彼女が冷ややかに言う。まだ2日ちょっとしか過ごしていないが、滅多に見られないと考えられるほど怖い顔をしていた。
「……何言ってる。」
「そんなに外に出たくないんでしょ?トラウマがあるなら仕方ない。寂しく1人で行くよ。」
ぷんぷん怒りながら支度を始める。今にも駆け出しそうで、咄嗟に止めようとする。
「分かったよ行くよ!行けばいいんだろ。」
ムキになって衝動的に言ってしまった。僕はそのことを後悔することになる。なぜなら、
「やった!ありがとう!」
さっきまで怒っていた顔とは思えないほど、穏やかで楽しそうな顔をしていたから。
「で、具体的にどこに行きたいんだ?」
「2つあるんだけど…どっちからいこうかな?」
雨はさらに強まってきて、スコールのようになっていた。本格的に行くんじゃなかったと後悔するが、時すでに遅し。僕たちがそれぞれ持っている傘が今にも折れそうなほどの雨が降っていた。きっと大雨警報が出ているのだろう外には人1人いなかった。そんな時ふと1つの疑問が頭を掠めた。それを口にする。
「今更なんだが、他人から見て君の傘はどう見えているんだろう?」
傘が宙に浮いているのか、と考えると、
「それは大丈夫だよ。私がした行動は数日以内に忘れられるから。正確に言うと、どんな行動をとっても、痕跡が消えちゃうの。笑えるでしょ?」
笑えないよ、と誤魔化す前に目的地に着いた。それも見覚えしかない場所に。
「……どうして学校なんだ?」
「見たい景色があるの。着いてきて!」
そういって、1階、2階と階段を上がっていく。そうして屋上へとたどり着いた。
「ここの景色、いいでしょ?」
「……ああ」
そう行ってみるが、今日の天気もあってか、この景色に美しさを感じなかった。太陽があれば少しは違うだろうが、今日は雲に隠れていた。人がいいと思ったことを共有出来ないのは少し寂しかった。こんなに僕は寂しがり屋だっただろうか。
「響くんに必要なのは、感動なんだよ。ほんの少しの愛情と感動で、人は生気を取り戻すの。私もそうだったし。」
「……じゃあ妄想で事足りるな。」
そんな減らず口を叩くと、彼女は苦笑して、
「まあ、響くんに必要なものは、私がプレゼントしてあげるから。楽しみにしててね。」
と呟いた。何故かその言葉が頭から離れなかった。
「それで次はどこに行くんだ?」
「まあまあ、楽しみにしてて。」
と言って連れて来られたのは、カフェだった。木の匂いが辺りに立ち上っていて、珈琲の堪能する客でいっぱいだった。雨も止みかけで、さっきまでの大雨が嘘のようだった。
「ご注文はお決まりですか?」
「あー、えーと…」
と口ごもると、彼女は、「カプチーノがオススメだよ。」と教えてくれた。
「じゃあ、カプチーノで」
「かしこまりました。すぐに用意致します。」
と店員が去っていくと、彼女は笑って、
「ここのカプチーノは本物だから。いい味なんだよ!」
「どうして君が味を知っているんだ?」
と聞くと、彼女は、
「さあ。」とはぐらかした。適当に言ったのだろうか?
「君はなんというか、掴みどころがないね。」
「ふふふ、そうでしょう、そうでしょう。」
何故自慢げなのか。そこも分からない。そんなふうに談笑していると、
「カプチーノです。ごゆっくり。」
と注文したものを持ってきてくれた。ほのかに湯気が立ち上っていて、美味しそうな香りがした。飲もうとすると、
「いただきます!」
と彼女がカプチーノに口をつけた。
「これだよこれ!すごく美味しい!」
「僕の分は?」
「大丈夫だよ、ちゃんとあげるから。」
僕の金で買ったんだぞとは言わなかった。こんなに美味しそうに飲んでくれるなら、カプチーノくんも本望だろう。
「ほらどうぞ、響くん。」
と飲みかけのカプチーノを差し出してきた。
「……美味しいな。」
「でしょ!」
こういってはなんだが、珈琲とかに苦手意識を持っていたのだが、甘い飲み口とスッキリとした味わいで一気に飲み干してしまった。
「私の分は!?」
「僕の金で買ったんだからいいだろ?」
「…確かに。でも、でも〜!」
そういって駄々をこね始めた。さすがに申し訳なく思ったので、仕方なくもう1個をテイクアウトで注文した。
「あ」
「どうした?」
「傘、壊れちゃった。」
そういってビニール傘を見せてくれた。骨組みがぐしゃっと曲がっていた。
「このままじゃ、濡れちゃうなー、どうにかならないかなー。」
とちらっとこっちを見てくる。
「……入るか?」
「よろしい、合格」
ムカッとしたが、しぶしぶ傘の内側に入れてあげた。彼女ははにかむ。僕はそっぽを向く。そうやって家路に着いた。妄想に行動を縛られるなんて、笑い話だ。
それから僕達は、土曜日には必ず遊びに出かけるという誓いをたてた。彼女が決めたルールだったのだが、不思議と嫌じゃなかった。外に出ることで自分の陰気臭さが薄まっていくような気がしたのが良かったのかもしれない。
「今日はどこに行く?」
「そうだな。近所に公園があるからそこに行かないか?」
「了解!」
そういってウキウキで支度を始めた。その元気はどこから来るのだろうか。
「響くんもずいぶんと丸くなったね。あんなに外出嫌がってたのに。」
「妄想と遊ぶなんて、なかなか経験出来ないからな。楽しめるうちに楽しんでおくだけだよ。」
「つれないなあー」
しばらく歩くと、同級生とすれ違った。名前は思い出せないが、クラスの中心的な人だった気がする。格好は僕が一生着ることがないような服で、高級品ですよと露骨にアピールしているように見えた。
「ブランド物って、どうしてあんなに欲しがる人がいるんだろうな。実用性があればなんでも良くないか?」
「自分をよく見せたいからじゃない?」
「よく見せたい、か。」
「響くんはそのままで十分だよ。逆に高いの着てると笑えるかも。」
雑談で暇を潰していると、公園が見えてきた。名もない小さな公園だ。子供たちが遊んでいて、平和な日常を感じられる。僕達はベンチに腰かけて、持参したジュースで乾杯した。
「この公園いいね。なんというか、癒される。」
「だろ。僕はここでよく遊んだんだ。両親が仲良い時にね。」
この公園は、僕の思い出でもトップ3に入るくらい思い出深い場所だ。鉄棒で怪我をして、両親が鼻血を拭いてくれたのだ。他愛もない話だが、両親の愛を感じた最初で最後の出来事だ。思い出というものは、どれだけしょうもなくても、本人がいいと思えば宝物になるものだ。
「君の家族だけど、仲良く出来ないの?」
「無理だよ。互いに互いを嫌いあってるんだよ。実の家族なのにな。」
思えば、幼稚園から書いていた絵をやめたのも、小説を書くことを禁止されたのも、テレビを禁止されたのも、家族の命令だった。昔はなんとも思わなかったが、どうしてそんなに僕を縛りたがるのだろうか、疑問が湧いてきた。
「どうしてそんなに僕を縛るんだろう?」
その呟き声は、か細く風に乗って消えそうな程だった。でも、彼女には届いて、
「多分だけど、」と前置きして、こう告げた。
「きっと嫌いな訳じゃないよ。響くんに正しい道を進んで欲しいと願っているだけ。度が過ぎてるけどね。」
「正しい道?」
「そう。きっと響くんが変な方向に進むことを怖がっているの。創作活動を禁止するのも、それに対する恐怖があるんだろうね。そういう影響を受けないように守っているだとと思うよ。勝手な妄想だけどね。」
「僕を、守る……」
そうして思索する。そんな思惑が両親にあったのだろうか?結局は僕のことが嫌いなだけじゃないのだろうか?嫌な妄想が頭を駆け巡る。
「なあ、二スカリカ。僕はどうすればいいと思う?」
曖昧な問いを口にする。
「聞けばいいんじゃない?僕のことどう思っているのってさ。」
その答えを聞いて決心する。妄想に背中を押されるなんて情けない話だけど、覚悟は決まった。
「ありがとう、二スカリカ。」
「どういたしまして、響くん。」
初めて感謝を伝えた。その微笑みから目を離せなかった。
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