おまけ 花火大会

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おまけ 花火大会

「響くん、今日の授業退屈だったね。」 「そうだな。」 ニスカリカーーもとい日野遥との大学生活は順調だ。 「同じ大学なら教えてくれよ……」 「ちょっとゴタゴタがあってね。本当はすぐにでも会いたかったんだけど…」 彼女は事故の後、必死に猛勉強したらしい。地方の国公立とは言え偏差値は高い。きっと並々ならぬ努力をしたのだろう。それが僕のためなら尚更嬉しい。そうかどうかは教えてくれなかったけど。 「あのさ…」 「ん?どうしたの?」 「今更なんだけどこれから君のことなんて呼べばいいかな。ニスカリカもいいんだけど、今の君は人から見えるから。」 今の彼女は妄想じゃなくて現実に存在している。ほんの下心を言えば、本名を呼んでみたかった。 彼女は悪戯っぽく微笑んで、 「んー。やっぱりニスカリカかなあ。この名前で私たちの関係が始まったし、遥さんって呼ばれるのは恥ずかしいしー。」 と言葉を述べた。 「分かったよ、ニスカリカ。」 本名も大切だが、彼女の意志も大切にしたい。それにプロポーズで本名を言うという妄想を叶えられるかもしれない。彼女との再開で、封印されていた妄想力が解き放たれたようだった。 「響くん、今日これから暇?」 「ん?暇だけど…」 「あの、その……」 彼女が挙動不審になっていく。顔が赤い。 「花火大会が、あるんだけど、一緒に行かない……?」 おずおずと顔を覗き込んでくる。拒否されるのを恐れているようだった。 「いいよ。行こうか。」 「……やけにあっさり承諾したね。てっきり拒否されるかと……」 「僕も大人1歩手前だからね。ベットにこもるより、花火を見たいって思っただけだよ。」 「ふーん。なるほどね。」 あっさりとした返答だが、顔は笑顔満開だった。彼女にしっぽが生えていたら、ブンブンとしっぽを振っているだろう。 ニスカリカとじゃなきゃ絶対行かなかったなんて口が裂けても言えないが。 「……その格好は何?」 ニスカリカが訝しむ。 「何って、普通の服でしょ?」 服のセンスが壊滅的な訳でも無い。むしろいつもよりおめかししている位だった。 「私の服、見て言ってるの?」 彼女は赤色の浴衣を身にまとっていて、お世辞抜きで美しかった。いつもの美しさに夏の装いはどこか扇情的で、この姿をしばらく堪能したい位だった。 「うん、とても綺麗だよ。」 「それは嬉しいけど、違うよ!こんな素敵な日には甚平とか法被とか着てきてよ!」 彼女は僕がどうして夏の装いを纏っていないのかについて怒っているようだった。なんて面倒臭いんだ、とは流石に言わない。彼女を宥めるように、 「ごめん。次は来てくるから。」 「次があるとお思いですか?」とんでもなく拗ねている。 「あるんじゃないの?」 何となく言ってみたけど、彼女の反応はにやけていた。 「……今回は許すけど、次は頼むよ、ってこの会話あの時もしなかった?」 「あの時は、ちょっと恥ずかしかったからね。1人で来てくるのはって思ってたから。でも今は君もいるし、約束は守るよ。」 おどけて笑って見せた。実は高校生の時に少しだけ花火大会に行ったことがある。その時もちょうどこんな会話を……しただろうか。ちょっと自信が無い。 「行くよ!そして屋台を制覇するよ!」 流石にそれは無理とツッコむ前に、彼女はたこ焼き屋さんに並んでいた。 「もう食べられない……」 「さっきの威勢はどこに……」 たこ焼き、たい焼き、フランクフルトにポテトを食べ終わった辺りで、彼女の降参宣言が出された。胃袋を擦りながら、 「屋台制覇は夢と消えた……ガクッ」 と悔しそうにこぼす。ちょっと可愛い。足元には食べかけの焼きそばが置かれてあって、彼女のフードファイトの痕跡が伺えた。 「……僕も食べるから。頑張ろう。」 そう言って焼きそばに手を伸ばし始めた。美味しい。 「どうもありがとう。響くん。」 「これからは無理せず胃袋と相談してね。」 「胃袋と相談して行けると思ったんだけど……」 「じゃあ胃袋を信用しないようにね。」 「はーい分かりました、先生。」 そう笑いかけてくるな。萌で死んでしまう。僕はかなり過保護な男だった。 花火大会が始まると、僕達は土手に座って花火の到着を待った。今か今かと待っていると、大きな花火が空に投下された。 「うわー。音がすごい」 「そっちなの?」 堪えきれずに彼女は吹き出した。 花火は色鮮やかに空を染め上げた。 「花火ってすぐに消えるよね。あの花火を閉じ込められたらなー!」 「希少だからこそ綺麗って思えるんじゃないかな。年中花火とかしてたら、流石にうるさいかもね。」 そんなどこかズレた会話をする。この距離感が心地よかった。 「ねえ、響くん」 彼女は真剣な顔で僕を見る。次の言葉は…… 「私、別に好きな人が出来たの。」 脳が溶けた、というのは比喩で、でもそれくらいの衝撃を僕にもたらした。確かに僕達は付き合っている訳じゃない。でも僕はに恋人になる人だと思っていた。でも、 「……そうか。応援するよ。」 声に動揺を含ませないようにしたが、顔は真っ青だった。でも仕方ないかもしれない。彼女とのこの関係に甘えきって、次のステップに進もうとしなかった、僕に非はある。 「ぷぷぷ」 「……え」 「本当に響くんは騙されやすい。将来詐欺に引っかかるよ、そんなんじゃ。」 彼女は堪えきれずに吹き出した。 「そんな人いないよーだ。響くん以外に目移りするわけないでしょ。ちょっとは頭働かせてよー。」 悪戯っぽく笑うが僕は心臓がもげるかと思った。とりあえず平静を装おうとーーん?何だこの違和感は。 「……僕達、どんな関係?」 その質問を口に乗せる。 「え?恋人でしょ?」 どうやら僕は彼女と付き合っているらしい。そんな言葉を投げかけた覚えはないけど。 「……うん。そうだな。」 噛み締めるようにそう言った。彼女には申し訳ないが、告白はお預けだ。プロポーズの言葉で挽回しようと決意する。だから、この勘違いに感謝した。 花火だけが、2人の幸せを見守っていた。
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