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記憶
(ああ・・・またやってるよ、勘弁して欲しいな)
どうして年配の教師ってやつは、プリントをめくるとき、自分の唾をつけてめくるのだろう? めくりやすいから? 僕は配られたプリントの唾がついてないところを摘むように持って後ろへ渡す。
「えー、このプリントは、2年生になったときの進路調査の三者面談を行うから、このプリントは失くさないようお母さんに渡すように、必ずな」
朝の学活で、担任の須藤は言った。
数学の先生で僕らのクラスの担任なのである。小太りで髪が残念なほど薄くなった中年のおっさん。
「必ず家に帰ったらお母さんに見せるんだぞ。返事にはお母さんの筆跡でないと駄目だからな」
さっきから「お母さん」「お母さん」という言葉を繰り返す須藤のデリカシーの無さに呆れていた。
せめて、そこはお母さんではなく『親御さん』とでも言ってほしい。まあ他のみんなは気にしないのだろうけど。
そう。僕、高校1年生、二階堂直也には『お母さん』がいない。
僕が4歳のときに母親は乳がんで亡くなっているらしい。らしいというのは僕の記憶の中ではもう朧気になっていて母さんの記憶は殆どない。
それでもお母さんが歌ってくれた子守唄や、絵本を読む声はなんとなく記憶にはある。
葬式でなぜか真っ白になったお母さんの顔が棺桶の中でいろんなお花に囲まれていたのが不思議だった。。
泣いたんだろうか? 泣かなかったのだろうか? それも憶えてなかったが。人が死ぬということは怖いことはなんとなく理解しているつもりだ。
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