「ありがとう」

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「ありがとう」

 電車に揺られること三十分──  俺たちは目的の駅で揃って降りる。  ちょうどその時、彼の携帯が着信を伝えた。画面を見るなりパッと顔色が明るくなるのを俺は横目でじっと見つめる。その嬉しそうな顔を見ただけで着信の相手がわかってしまった。そんな表情、俺には到底させることなどできない。  敗北感、嫉妬心、執着…… 様々な嫌な感情で心の奥が燻んでいく気がして泣きたくなった。俺は聞こえないふりをして先を歩く。調子の良い彼の声が背後から聞こえるも、途端にその声のトーンは小さくなった。 「……うん、わかった。もう連絡しない。うん……バイバイ」  これ以上ないくらいの落ち込んだ声に心配になり振り返ると、彼はその場にへたり込んで泣いていた。 「どうしたよ? 改めてまたフラれちゃったの? 泣くなよ、ダッセエな」  俺はちょっとホッとしながら、揶揄い交じりに励ましてやった。  否、ちょっと、なんかじゃない。俺は心底ホッとしていた。 「泣いてねえし! 靴紐……解けちゃっただけだし」  しゃがみこんで靴紐を結び直す。でも涙で滲んでよく見えないのか、手元がおぼつかずになかなか結べないでいた。 「ほら、やってやるよ。昔っからこういうところは不器用だったもんな」  俺はそっと前にしゃがみ込み、靴紐を結んでやった。  手元がおぼつかないくらい動揺しているの? その恋人はそんなにいい女だったのかよ。こいつを悲しませる見知らぬ女に小さな怒りが湧いてくる。  俺なら絶対こんな顔はさせない──  頭上から落ち着いた小さな声で「ありがとう」と聞こえる。思いの外近いその声にドキッとした。
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