ツー・ショット

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千鳥柄のベージュ色のコートを羽織り、後方に立っている黒瀬克。「お疲れ様です」と動揺していてもきちんと挨拶できるのは、脊髄反射のようなもの。 「本郷さん」 「え、」 だけど、さすがに名前を呼ばれて近付いて来られる対処法までは、身に付けてはいないのだ。 芸能人黒瀬克が迫って来る焦り。咄嗟に起こした行動は、後輩の相沢君の横に移動すること。 相沢君は間近で見る黒瀬克のオーラに声も出ないのか中腰で硬直している。頼りにならない。 でも、黒瀬克だってバカではない。自分の立場を自覚しているはず。他のスタッフが近くにいる場所で、今朝のように私情を挟むことはしないだろう。それに、あたしは精一杯の想いをその時伝えたのだから。 あたしと相沢君の前まで来た黒瀬克を緊張の面持ちで見上げる。彼は左手をポケットに入れていた。服装は西垣康平ではないけれど、髪型は役柄のまま。前髪の隙間から、彼がチラリとあたしを上目で垣間見た。 「これ、よかったら」 ポケットの中に入っていた左手は、差し入れのもなかを持ってあたしの前に現れる。個数が0になり、食べられなかった物がすぐそこにある。 「え?」 目が点になった。 「俺1個食べてるので」 「……え、いや、でも、」 「本郷さん、食べてないんですよね」 えっ、そうだったんですか?とあたしの隣で相沢君が慌てる。
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