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────けれど、その番号を使う必要はなかった。仕事を終えてアパートに帰宅すると、あたしの部屋の前に黒瀬克が存在していたのだから。
「……え」
コンビニで買った水とサラダを抱えて立ち尽くすあたしの声に、彼は伏せていた目を上げる。
さっきと同じ服装だった。千鳥柄のコートのポケットに両手を入れ、黒瀬克は「おかえり」なんて声をかけてくる。
マスクはしているけれど、帽子も眼鏡も身に着けていない彼は、どこからどう見ても“黒瀬克”。数時間前、「連絡待ってる」と言ったはずの彼は、あたしの連絡を待たずして再び現れた。
「何をしているのでしょうか」
「何持ってんの」
2人とも全く違う人物に話しかけているみたいだ。見事に交差する質問に答える人は誰もいない。
「2日連続ですよ?」
「メシそれ?」
頬が引き攣る。表情を変えず、淡々と喋る黒瀬克は何もかもリセットしているみたいだ。あたしが言ったことをやっぱり何も理解していない様子。
「黒瀬さん」
芸能人が来るような場所ではない薄汚れたアパートに彼がいきなり来たことには驚いたものの、わざわざ呼び出す手間は省けた。
部屋の鍵を片手に一歩彼に歩み寄ると、二重の双眸はあたしが持つ水とサラダをまだじっと見据えている。
「お話があるので部屋に入ってくれませんか?」
「言われなくても入るよ」
「お話が済んだらすぐに帰ってもらうのが条件です」
「……」
腑に落ちないような表情は見なかったことにし、部屋の鍵を開ける。「もなか食べた?」という些細な問い掛けにも答えない。
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