はしるひと。

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はしるひと。

 お昼ごはんをいっぱい食べた結果、とっても眠くなっている午後イチの授業ほどきついものはない。  五時間目の英語の時間。教室の窓際の席で、累奈(るいな)はうつらうつらと船を漕いでいた。先生の読む英文が子守唄に聞こえて仕方ない。中学校一年生の英語なんて、大して難しいことを言っているわけでもなく、恐らく塾でやった範囲であるはずなのに――ああ、ちっとも頭に入ってこないのだがどうしてくれよう。 ――眠い。寝たい。ねぶい、ねむ……。  さっきから、そんなことしか頭の中に浮かんでこない。頭の中に、もわもわとふわふわの子犬が浮かんでは消えていく。昨日文芸部の部室で、やれどの子犬が一番可愛い、ポメラニアンだスピッツだトイプードルだシベリアンハスキーだのといった話を友人達と交わしたせいだろう。先生の背中から、もふもふのポメラニアンの子犬が抜け出して、窓の方に歩いて行くような気がする。優雅な空中散歩。自分の眠気も一緒に連れて行ってはくれないだろうか。  突っ伏して眠ってしまえば楽なのだろうが、今授業をやっている英語の田中先生は怖いことで有名だった。居眠りをしている生徒の横に立っては、ものすごく怖い顔で睨んでいたこともある。みんなの目の前でお説教じみたことを言ってきたことも。あれはいろんな意味で避けたかった。そもそも、この状態ではお説教されたところで目が覚める保証もなく、怒鳴られながら半分寝てしまってさらに火に油を注ぐ結果になりかねないからだ。  ああつらい、つらい。そう思いながら累奈が自分の膝を捻りつつ、気を紛らわせようと窓の外に目を向けた時だった。 ――あれ、なんかへんなひと、いる……。  それは、白い体操服に、白いハチマキを巻いた子供だった。  校庭で、クラウチングスタートでもするように膝をついている――こちらに背を向けた状態で。今の時間、体育の授業をやっているクラスがたまたまいなかったのか、その生徒以外で校庭に出ている人影は見えなかった。あるいは、この教室から見えづらい校庭の奥まったところで授業をしていただけかもしれない。なんせこの中学校の校庭は広い。  いや、そんなことより気になるのは。 ――何あいつ。……中学生じゃないっぽくない?  そう。その体操服のデザインが、どうにも見覚えがないものであったこと。全身真っ白で、しかも赤い帽子を被っている。遠目からだから分かりづらいが、体格も小さめのようだ。恐らく、男の子。恐らく、小学生。何でそんな子が、中学校の校庭に入り込んでいるのだろう。 ――あ。  累奈が見ている目の前で、誰かに合図されたように少年は腰を高く上げた。そして、一気に走り出したのである。一気に加速して、その姿は校庭の奥へと消え去ってしまった。通路の並木に隠れて、もうこの教室の窓からはその行方を確認することができない。なんなんだあれ、と首を傾げる私。まるで、見えない何かと競争でもしていたかのようではないか。 ――変なやつ。  最初は、そんな感想だった。寝ぼけて幻でも見たのかもしれない、くらいの。  そうじゃないと気づいたのは、翌日のこと。  累奈は再度、少年の姿を目撃することになるのである。それも校庭ではなく、学校の廊下で、だ。
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