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第三章
「あなたは随分勝手ね。見えなくなることが辛い。会えなくなることが辛い。そんなことあなた以上に私が感じているのよ」
鋭い声に言葉を止めた公孝の前で、彼女は俯く。肩までの髪がさらり、と彼女の顔を隠した。
「私がどれくらいそれを感じてきたと思うの。ここにいるのに、姿を認められなくなって。そうなるのがいやで、ずっとこの部屋に一人でいたのに。やっと人の温もりなど、忘れられたのに」
掠れた彼女の声。そこに滲んだどうしようもないくらいの孤独。
肩を抱きたかった。今、彼女の肩を。
けれど、自分にはできない。
「でも……どうしてもあなたといたいって思ってしまったんだ」
絞り出すように言う公孝の前で、彼女がかすかに肩を震わせた。ゆらり、と顔を上げた彼女の目が妖しく光っていた。
「だったら、今すぐ自害してみせなさい。そうすればあなたは体を捨てられる。私の世界に近づくこともできる」
赤い唇がゆっくりと横に引かれる。白く整った指先で彼女は窓際に置かれた文机の上を指さした。
そこにはかんざしが並べられていた。
「あのかんざしで喉を突いて自害すればいい」
すっと背筋に冷たい汗が落ちる。のろのろと立ち上がり、震える膝をなだめながら窓辺に近づいた公孝は文机を見下ろした。
リンドウ、桜、椿といった花があしらわれたもの。透き通った珠飾りがつけられたもの。色鮮やかなかんざしが並ぶ中、公孝はゆるゆると手を伸ばす。
彼女に似合う、朱色の珠飾りのついたかんざしをそっと手に取った。
一本軸のそのかんざしの軸の先が鈍く銀色に輝いた。
「少しよ」
いつも柔らかく公孝を包むように響く彼女の声が、今日は老婆のようにしわがれて聞こえる。
息を飲む公孝の背中から彼女が言葉を重ねた。
「少しの勇気があれば、あなたはこちらに来られる」
さあ。
声が公孝の背中を押す。ゆるゆると公孝は手を上げる。
ひやりとしたかんざしの感触が喉に触れた。
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