35人が本棚に入れています
本棚に追加
「……一花は?」
「寝た。いま、部屋に運んだとこ」
すん、と鼻を啜りながら起き上がった
私の肩にポンと手を置くと、彼はそのま
ま肩を抱き寄せる。じんわりと、彼の
体温が凍り付いた心に沁みてくる。
やっと止まってくれた涙が、また込み
上げてきてしまって、私はその温かい胸
に顔を埋めた。
「ごめんな」
彼の匂いと温もりに包まれながら、
ほぅと息をついた私の耳に、そんな言葉
が降ってきてのそりと顔を上げる。
腕の中から覗いた瞳は、悲し気に歪ん
でいるというのに、どこか優しい。
初めて「愛している」と、言ってくれ
た時の目に、似ている気がした。
「ううん」と、小さく首を振った私に、
尚も「ごめんな」と口にする。
そして子供の頭を撫でるように優しく、
優しく髪を撫でると、彼は息を吐き出
しながら言った。
「子供がいなければ、離婚出来たの
にな。こんなことになって、辛い思い
ばっかさせて。本当に、ごめんな」
その言葉に、ぶわっ、と二つの眼
から涙が溢れ出した。
一番辛い思いをしているのは、彼なの
に。残酷な病に選ばれてしまったことを、
誰よりも嘆いているのは彼なのに。
どうして私は、自分ばかりが辛いと
勘違いしてしまったのだろう?
「死」が二人を分かつまで、と、神様
に誓ったのに。そんな悲しいことを言わ
せてしまうほど、私は彼を追い詰めてし
まった。
「ごめっ……大ちゃ……」
ひっく、ひっく、と、しゃくりあげな
がら、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、
彼のパジャマを握りしめる。
「大好きなのにっ……ごめんね」
震える喉から、そう声を絞り出すと、
大ちゃんの目からも涙が溢れ出してし
まった。
私たちは互いにしがみつくように抱き
合うと、そのまま、嗚咽を漏らしながら、
夜が更けるまで泣いた。
――病める時も、健やかなるときも、
愛することを誓う。
「永遠」という言葉の重みを、初めて
理解した夜だった。
それからの日々は、意外なほど明るか
った。人間という生き物は、一度覚悟が
出来てしまうと、案外、強いのかも知れ
ない。
――前を向いて生きる。
二人でそう決めた瞬間から、真っ暗に
思えていた未来に一筋の光が射し始める。
私たちは本屋を梯子して専門書を買い
漁り、生き方を模索するために若年性
認知症総合支援センターへと足を運んだ。
本来、大ちゃんはとても前向きな性格
だ。負けず嫌いで、自信家なところも
あって、だから、大手自動車メーカーの
ディーラーとして数々の営業成績を残し
ている。だから、その性格と業務経験を
活かして次の仕事を探したいとコーディ
ネーターさんに相談すると、彼女はやん
わりと首を振った。
最初のコメントを投稿しよう!