愛しかない

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 「この病気をお持ちの方は、新しい 環境に慣れるのも新しい人間関係を築 くのも、すごく負担になるんです。だ から、一旦、落ち着いて考えましょう。 まだまだ、ご主人は症状が軽いのだし。 障がい者福祉手帳を取得して、いまの 会社で障がい者雇用枠に切り替えても らう方がいいんじゃないかしら?仕事 内容は変わるけど、あなたの勤めてい る会社なら雇用条件もしっかりしてる と思うわ」  その言葉に、大ちゃんと顔を見合わせ る。いまの会社に残れると思っていなか ったから、その提案は願ったり叶ったり だった。  「はい、よろしくお願いします!」  満面の笑みで頭を下げた大ちゃんの 横顔を、私はちょっと幸せな心持で見 つめた。  仕事の見通しがつけば、次は日常生 活だ。二人で本を読んだり、当事者の ブログを読んだりして学ぶと、行き 止まりだった道に抜け道を見つけた ような気分になれた。  認知症という言葉を聞くと、多くの人 が「何もできない人」、「すぐに忘れて しまう人」という風にイメージするかも 知れない。けれど、それは重度の症状 ばかりが象徴された間違った認識であ って、認知症と診断された人たちも いままでと同じように、笑うことも、 会話することも、考えることも出来る。  現に、大ちゃんは忘れてしまうことが 増えてはいるけれど、その症状が劇的に 悪くなる、ということはなかった。  だから私はあえて、  「アレもダメ、これもダメ」  と、止めることはしなかった。彼に 必要なのは、介護ではなくサポート。  一番大切なのは、忘れてしまうことに 備える工夫だ。  そのことを二人で相談しながら、 日常生活に色んな工夫を散りばめた。  病院へ行く時は、保険証や診察券、 お薬手帳を透明なケースにまとめてお く。そうすることで、中に何が入って いるか瞬時にわかる。交通ICカード は、ポケットや鞄、財布など、三枚持 ち歩くようにしている。これなら、 どこに入れたか忘れても“どれか”は 見つけることが出来るので、一人で 公共交通機関を利用することも出来た。  いまはまだ必要ないけれど、時計の 見方がわからなくなってしまったら、 ボタンを押すだけで音声が時間を教え てくれる、視覚障がい者用の時計だっ てある。  「色々便利なものがあるんだなぁ」  ネットの情報を二人で覗き込みなが ら、まるで他人事のようにそう言った 大ちゃんに、私は「そうだね」と自然 に笑うことが出来たのだった。 ――それから4年。  彼の症状は、ゆっくりと進行している が、私たちは、私たちなりに幸せに暮ら している。
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