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TOKYO
この日、東多和は朝からため息が止まらなかった。どうしても嫌な予感がしていたからだ。
「……既読になってるから、ちゃんと断れてるよね?」
都内某所、何故か皆が果物のマークをあしらった電子機器を操作するカフェで、多和も同じマークのスマートフォンを取り出して三日前のやりとりを確認していた。
やり取りの主は、大阪在住の通天郭という男だ。悪い奴ではないのだけれど、何事も都合の良いように解釈するところがある。
『今度の水曜、間取って静岡で待ち合わせしようや』
『水曜は用事があるから、ちょっと静岡は行けないよ』
確かに断りの文面を送信している事を確認すると、本日の用事であった、いきつけの神田の古書店で手に入れた芥川龍之介の初版本を丁寧に取り出した。
コーヒーの香りと、古書の香りが交わってなんとも贅沢な時間。カフェの喧騒が心地よいBGMになって多和の耳へ入ってくる。この一人で過ごす時間が、彼にとって至福の一時。
「あ、おった。やっぱここかぁ。ここ好きやなぁ自分」
「……え?!」
香りと音楽に夢うつつとなっていた多和の耳に飛び込んできたのは、聞きなれた関西弁。もちろん声の主は、今日会う事を断った郭である。
「か、郭?!どうして?」
「いやな、自分静岡は無理って言うから東京まで来たら会えるんかなあ思うて。このカフェお気に入りやって言うてたから来てみたら、ほらやっぱりおるやん。俺もなんか買うてくるから待っといてや」
「え、いや、あの……………はい……」
さようなら至福の一時。せっかく大阪から郭が来たのに本を読み続ける程、多和の心は強くない。
かくして、会う予定の無い男と過ごす休日が始まったのであった。
東多和と通天郭は幼い時からの好敵手で、勉強においても、スポーツにおいても「東の多和、西の郭」とこの世代の若者は口にするという、ちょっとした有名人でもあった。
話は幼児の時まで遡る。二人が顔を合わせたのは、某おむつCMのオーディションが初めての事だった。もちろん二人共記憶にないが、可愛らしい赤ちゃんだった二人はその時の審査員を悩みに悩ませ、なんと異例な事に二人共採用となったのだ。
本来なら喜ばしい話なのだが、親の心はそうではなかった。お互いの親の中で、自分の子供が一番だという気持ちが燃え上がった。
この時から、二人は親公認のライバルとして育っていく。多和がバスケを始めれば郭も始め、郭が野球を始めれば多和もやらされ。模試で多和が一位を取れば、その次の一位は郭だった。
親や外野はヒートアップするものの、二人は仲が悪いわけでは無かった。
むしろ、郭はこうして遠路はるばる多和に合う為だけに新幹線に乗るほど、同い年の彼を慕っていた。
「芥川かあ、洒落てんなぁ多和は」
「そんな事は……郭だって本は好きだろう?」
「そやなぁ。新幹線の中で田辺聖子読んできたわ」
「ああ、良いね」
「山崎豊子とか、高村薫も好きやなあ」
「素晴らしい」
見た目は金髪ピアスの派手な郭だが、意外とこういう一面もある。読書好きな多和にとって数少ない本の話が出来る相手が郭だった。
「そういえば、どうして今日は静岡に行こうとしていたの?」
「あー……二人の中間地点くらいやし……」
「それだけ?」
多和の漆黒の瞳に見据えられると、どうにも本心を言ってしまいたくなる。郭は恥ずかしそうに頭を掻いて、口を開いた。
「…ダチが……豚兵衛の関西味と関東味の境目って静岡かな?って言うてたから、多和と一緒に調べたらおもろいかなって思てん」
徐々に顔を赤らめていく郭が可笑しくて、多和はくすりと笑った。
「郭ってたまに面白い事いうよね」
「あ、あほ!俺はずっとおもろいっちゅーねん!」
「そういうフィールドワークは楽しそうだね。今度行こうか」
真っ黒な瞳が楽しそうに揺れて、郭を見つめている。
「え、ええんか!?そ、それってつまり、デ、デー――」
「豚兵衛の関西味と関東味の境目は関ケ原辺りですよ、多和先輩」
「でぇぇええ!?お前誰やねん!」
いい雰囲気だった二人の間に割って入って来たのは、瞳の色も髪の色も明るい美少年だ。
「空、どうしてここに?」
「ここガラス張りじゃないですか。外から多和先輩が見えたから店に入ってみたら柄の悪い男に絡まれてるなあって。助けようか迷ってたら知り合いみたいだし、どうしようかなって思ってたんですけど、スマホで調べれば秒でわかるような心底どうでもいい話してるからつい」
「な?!柄ワルないわ!急に入ってきたお前のんが失礼やろ?!」
「ほら、目を釣り上げてくる。怖いなぁ。多和先輩助けて~」
「もう、空やめなさい。郭ごめんね。この子は大学の後輩なんだ」
「こここ後輩ぃ?!」
「ほら、空謝って」
「え~……多和先輩がそういうなら。…Sorry…」
「なんで英語やねん!しかも発音ええのが腹立つ!」
「だって僕半分ジャパニーズじゃないもーん」
多和の背中に隠れながらあっかんべーをしてくる空に腹が立つのは、空が多和の肩に触れているからだろう。
「はあ?!空ってめっちゃ日本語やんけ!」
「フルネームは大木T.空だし!」
「ちょ、ちょっと二人共……」
「なんやねんTって!父親トムとかか!?」
「ぶっぶー!何なのその単純思考!パパの名前は忠雄だっつーの!Japaneseじゃないのはママのほう!」
びしっと郭の方へと決めた指をぎゅっと握ったのは、笑顔なのにどこか恐怖を感じる多和だった。
「あ……せ、先輩……?」
「二人共、周りに謝ろうか」
「へ……?」
声を荒げた二人は周囲の注目を集めていた。
「す、すんまへん!」
「ご、ごめんなさい!」
「さあ、二人共外に出ようか」
「「ええ?!」
「出ようか」
先程よりも語尾を強調した多和の笑顔に、二人の背筋に冷たい物が走る。
「「は、はい!」」
そう返事するや否や、三人はカフェを出ていった。
「……三人ともカッコよかったね」
客の誰かが呟いたその言葉に、店内の全員が同じタイミングで頷いたのだった。
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