あとのまつり

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例えば花火大会の前日、申し訳なさそうに電話をかけてきたゆきえの掠れた声を聞いた時。 落ち着いたら話すからというゆきえの言葉を、どうしてそのまま信じることができなかったのか。 そんな状況にあっても、わたしを気遣い電話をくれた彼女の優しさに、どうして気づけなかったのか。 例えば夏休みが明けた始業式の朝、目を腫らして登校する彼女を見た時。 昨日の夜見たドラマに感動し過ぎちゃって。 下手な言い訳を、馬鹿みたいに素直に受け取って、充血した目を細める彼女の背景を、これっぽっちも想像できなかった。想像しようともしなかった。 あの時も、あの時も。 注意深く遡ってみれば、ゆきえが抱えているものの大きさに、何度でも気づけたはずだった。 わたしはいつだって世界で1番幸福で、世界で1番不幸だった。 見たいものしか見えていなかった。自分のことしか見えていなかった。 優しいゆきえは、そんなわたしを前にして、何も言い出せなくなったのだろう。親友だと思っていたのは、わたしだけだったのかも知れない。 卒業式当日、正門前で母親と肩を並べ、記念写真を撮るゆきえを見かけた。元々華奢な彼女たちは、更に小さくなったように見えた。 かける言葉なんてなかった。 これも人づてに聞いたことだが、そんな状況にありながら、ゆきえは高校入学当時から目指していた東京の難関大学に無事進学を決めていた。 今日のゆきえの晴れ姿を、彼女の父親もどこかで見守ってくれているといいなと思ったけれど、そんな感傷に浸る資格さえ、わたしにはなかった。
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