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第一章 彼女に近づかないで
「し、社長! おはようございますっ」
「おはよう」
きっかり九時に会社に到着し、社長室へ向かう途中で何人もの社員とすれ違う。
社長こと、玉木澪依は今年三十歳になる、玉木ホールディングスの女社長だ。
オムライス好きが高じて、飲食店「おむらいす亭」をチェーン展開している。
「玉木社長、今日もキレッキレだなぁ」
「しっ、バカ! 聞こえるって」
「いやぁ、仕事ができて、あの美しさにドSキャラとかたまんな」
「君たち、営業部の人たちよね?」
聞こえてきた雑談に澪依は歩みを止めて、話し込んでいる二人の社員に声をかけた。
「は、はいっ!」
「無駄口を叩いている間に、一体いくつ、案件が取れるかしら? 確か、営業部の今月の売上って……」
にこりと微笑めば、二人の顔色がみるみる青ざめていく。
「あ、こ、この後、アポがあるので、し、失礼しますっ!」
「くぅ! 冷酷社長、たまんねぇ!」
そそくさと退散して行った二人の後ろ姿を見送り、澪依はふぅと息を吐き出す。
「ふっ……」
隣に立つ秘書が笑いを堪えている。
普段、仕事では無表情で淡々とこなすタイプの人が笑いそうになっているなんて、珍しい。
「何がおかしいの? 稲垣くん」
「……いえ。何でもありません」
彼の名は、稲垣悠誠。今年二十七歳になり、この春に愛でたく澪依の彼氏となったのである。
「それで、今日の予定は?」
「はい。本日お昼に会食が一件、午後四時よりメニュー開発の試食会議がございます」
「そう。なら、午前中は書類の確認ね」
「はい、かなり溜まっておりますので」
さり気なく悠誠が「さっさっと終わらせろよ」という表情をする。
それを無視して、頭の中で予定を組み立てているうちに社長室に辿り着いた。
悠誠は、社長室の隣室にある秘書課へそのまま向かう。
澪依が社長室に入ろうとした時、別の秘書に呼び止められた。
「社長、おはようございます。ご報告がございます」
「おはよう。何の報告?」
「あの……、OMU社の神村様から先程お電話がありまして、今からこちらへいらっしゃるとのことでした」
「また? 何時頃にいらっしゃるの?」
「十時頃だそうです」
「……分かった。報告ありがとう。悪いけど、稲垣くんを呼んでくれる?」
「かしこまりました」
今度こそ社長室に入り、澪依は自席の椅子に腰を下ろす。面倒な人が朝から来ると知り、一気に憂鬱な気分になる。
「はぁ……」
机の上にある書類の山を見つめながら、大きなため息が溢れた。
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