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中学3年生の夏、ある日の調理実習。
俺と村上は同じ班だった。メニューは班ごとに自由に決めて、材料は分担して各自で持ち寄ることになっていた。
「じゃあまずはカレー作っちゃおうか」
班長の村上が指示を出し、作業が進む。具材を煮込み始めたところで、村上が言った。
「鎌切と石田はそろそろサラダの準備お願い」
この時、俺はまだ自分の担当のトマトとキュウリを持って来ていないことを言い出せていなかった。
「……ああ」
「おっけ」
石田が持ってきたレタスを千切っていく。俺はただその様子を見ていることしかできなかった。
「おい、お前も早く野菜切れよ」
レタスを洗いながら石田が言った。
「……ないよ」
そう答えると、班員全員が動きを止めて俺を見た。
「はあ?」
「どういうこと?」
「えっ、まさか鎌切、野菜忘れたの?」
「違う、忘れたんじゃない。……持ってこようと思ってたけど、今朝見たら傷んでたんだ」
村上に問われて、咄嗟に嘘をついた。忘れ物をしただなんて、好きな人の前では恥ずかしくて言えなかった。しかし、真面目な村上は、そんな言い訳を許してはくれなかった。
「……ねえ、本当に家で育ててる?」
「育ててるよ」
これも嘘だ。
「じゃあ、家庭菜園のプロみたいなこと言ってたけど、こうなることはわからなかったの?」
「だって、昨日までは元気だったから」
「だったら、何でもっと早く言わなかったの? もしものために、野菜買っておこうとか思わなかった?」
「それは……」
「鎌切があんなに自信満々に言うから、信じて任せたのに」
何も反論できなかった。野菜は本当に前もって買ってあった。ただ、カバンに入れるのをすっかり忘れていたのだ。
「それで、どうする? サラダ、このままだとレタスしかないよ。他の班の人に何か分けてもらう? もう何も余ってないかもしれないけど……」
村上は他の2人に尋ねた。
「うーん、でもさすがにレタスだけじゃね。私ちょっと聞いてくる」
「俺も」
そう言って佐倉と石田は調理台を離れた。
「……鎌切も何か考えてよ。野菜忘れたの鎌切なんだから」
「だから俺は忘れたんじゃないんだって」
村上は小さくため息をついた。
「まあ何でもいいけどさ、鎌切のせいでみんなに迷惑がかかってるんだからね?」
カッコつけたくて見栄を張ったことも、ついた嘘も全部、村上には見透かされている気がした。
しばらく沈黙が流れる。
情けない自分に対する失望。自尊心を傷つけられたことへの怒り。好きな人の前で失態を犯した恥ずかしさ。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、抑えきれなくなった感情が、突然溢れ出した。
「……何なんだよさっきから。偉そうに、上から目線で責めてきて。そんなに自分が正しいか? 班長だからって調子に乗るなよ。あー、もうマジでウザい。マジ死ねよ、ブス」
勢いで言ってから、しまった、と思った。こんなこと言うつもりなかったのに。
カレールウを溶かす村上の手が止まっていた。唖然とした顔で、こちらを見ている。大きく見開かれた目。その瞳がだんだんと潤んでいった。
俺は村上からのどんな言葉も受け止めるつもりだった。だけど、村上は何も言わなかった。泣くこともしなかった。
「ちょっと鎌切! それはないでしょ。優依奈ちゃんに謝りなよ」
「いいよ、美南ちゃん」
いつの間にか戻ってきていた佐倉が怒るのを、村上は歪んだ笑顔で制止した。
――目が覚めた。夢を見ていたようだ。いや、夢というよりは、記憶をみた、と言った方が正しいだろう。
もうすぐ同窓会の時間だ。ゴロゴロしている間に、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
午前の成人式には行かなかった。彼女の一生に一度の思い出まで、汚したくはなかったから。
あの日のカレーの味はよく覚えていない。サラダも、結局はレタスだけだった気がする。あれ以来、村上は俺を避けるようになった。必要最低限の会話はしたかもしれないけど、二度と村上が俺の名前を呼ぶことはなかったし、目が合うこともなかった。そしてそのまま、卒業の日を迎えた。
「……そろそろ行くか」
そう呟いて、俺は立ち上がった。
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