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5.
マンションの隣室に住む若夫婦に、子供が生まれた。交流があるわけではなく、すれ違うと会釈をする程度の間柄だ。お腹を膨らませていた奥さんが急にスレンダーになり、その手に大事そうに何かを抱きかかえていれば、いかに鈍い僕とはいえど事情は大体察することが出来た。
「おめでとうございます」
社交辞令に、旦那さんは嬉しそうに「ありがとうございます」と言い、そのあと「うるさかったらすいません」と続けた。僕はその全然申し訳なさそうではない言葉に「いいんですよ」と返すことしか出来なかった。
実際は全然良くなくて、夜中も早朝も昼も夕方も泣き叫ぶ赤ん坊の声が壁越しに聞こえてくることに、僕は動揺していた。敢えて聞かせているのではないかと思うほどの煩さ。姪のさっちゃんはここまで泣かなかったんじゃないかと記憶を辿り、辿ったところでどうにもならないのでやめた。
僕は仕方なく電気店で安いヘッドホンを購入し、それを頭につけることで騒音から身を守った。難点は彼女が帰って来ても音で気付くことが出来ないこと。
「そんなにそのゲーム、楽しい?」
帰宅に気付かなかった僕に腹を立てているのだろう。彼女は呆れたようにそう言った。
「楽しいよ」
僕は返した。それきり話が終わってしまったので、どうしてヘッドホンをしているのかの理由を彼女に話しそびれてしまった。彼女は疲れているので、赤ん坊の泣き声になど気付かずぐっすり眠れている。困っているのは僕だけなんだなあと彼女が食事をしながらマシンガンのように繰り出す愚痴を聞きながら思った。
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