金木犀のかおりには

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 ほろ酔いの友人は実に楽しげにけたけた笑っている。もともと笑い上戸ではあるが今夜は殊更に機嫌が良いようだ。さして広くもない自室で大の男ふたり思い思いに酒とツマミを味わうなか、ちょっとしたクイズと称して同窓会帰りの友人がとある話題を提供したのが事の始まりだった。  友人のグラスに日本酒を注ぎなおし、改めて復唱する。 「子ども達が肝試しで夜の学校に忍びこみ、悪夢を見たなか、Dさんはなぜ肝試しに参加しなかったのか……だったね」 「イエス」  すかさず相槌がとぶ。 「そしてそれをきみは教員の友人から聞いたと」 「うむ。俺としては盲点で面白いなァと思ったのよ」 「自分が引っかかった落とし穴に人が嵌まるかどうかを試してるわけだ?」 「そうとも言う」 「意地が悪いね」 「お互い様だろう」  たまらず笑いを漏らせば、向こうも同様に肩を震わせる。  明日は休日で、急ぐ用事もなければたまっているタスクもない。たまにはこういう興に乗じてみるのも面白い。この友人とは毎度興に乗じている気もするが。 「でも悪いけど、答えはおおよそ予想できてるよ」 「まじか」 「きみが感じた盲点とやらも」 「聞かせていただこう」  こいこいと、友人は挑発的に手招く。まるで勝負でも挑まれているようだ。  飲みかけのグラスを脇に置き、煙草に火をつける。ゆっくり煙を吐くと、煙は細く開けた窓の隙間へ吸いこまれていった。外はとっぷりと日が暮れている。のんべんだらりと四方山話に興じるこの光景はまさしく秋の夜長にふさわしいのだろう。 「まず、解答だけれど」 「おう」 「AさんBさんCさんDさん、のなかでDさんだけ肝試しに参加しなかった理由は、Dさんが男子だからだ」  友人は特に反応を見せなかった。 「トイレの花子さん、と言えば場所は言わずもがな女子トイレだろうし、当然ながらそこに男子は入れないからね。『その子の精神、及び健康状態は関係なく、極めて一般的で常識的な範疇の答えであり、その日に限って特別な状況があったわけでもない』のなら、これが解答としてふさわしい」 「もしかしたら他にも答えがあるかもしれんぞ?」 「そこできみの言う『盲点』が関係してくる。そもそもこの問題は、こうして答えを聞けば何を至極当たり前のことを、と思うだろう?」 「まァな」 「でもきみは当たり前に思わなかったからこうして俺に種明かしをさせている」 「まァまァまァ」 「なぜきみには当たり前に感じなかったのか、それはきみにこの話をした友人が教員だからだ」 「……つまり?」  友人は身を乗り出す。 「話を聞くに舞台となった学校はおそらく小学校か中学校だろう?」 「そうなんだよな」 「昨今の教員はね、『くん』や『ちゃん』のように子どもの性別で呼び方を変えたりしないんだよ。男子も女子も等しく『さん』呼びだ」 「そういやお前さんも教壇に立つ者だったな」 「大学生ほどになれば違和感もないだろうけど、きっときみの想像では誰々くん、誰々さん、と呼びながら先生をする友人の姿があったんじゃないかい」 「その通りすぎて言葉もない」 「それにきみ、言ってただろう。個人名は伏せておく、と。つまりきみが聞いた話には個人の名前が出てきたわけだ。それでもきみはDさんが男子だと気づけなかった」 「最近の名前は難しくてかなわん」 「仮に太郎さん、花子さん、だったならきみも察しがついただろうに」  そうそう、と友人は深く頷いた。 「音を聞いただけでは男女の判断が難しい名前も多いからね」 「男女どころか国籍もわからん」 「きみが言う盲点、とは、その友人の生徒に対する呼称だね。誰々さん、と呼んでいたからてっきりきみは全員女子だと思いこんだんだ。その前提でひとりだけ肝試しに参加しなかったとなればさて何か相応の理由が、と考えてしまうのは不思議じゃあない」 「お見事」 「美味い鮭とばの対価にはなったかな」  ぱちぱちと送られる拍手を肴に喉を潤す。 「まがりなりにも教員の端くれであるお前さんに挑んだのが間違いだったわ」 「その、俺が詐欺師のような言い方は語弊があると思う」 「お前さんもさんざん俺を風来坊扱いするだろうが」 「それは事実だからね。手品、うけてるのかい」  友人は手品師である。 「いんやちっとも」  ただし売れてない。本当に、どうやって食い扶持を稼いでいるのか甚だ疑問である。 「まァどうよ。面白い話だったろう? 俺は目から鱗でな。自分の学生時代、男子は『くん』女子は『さん』呼びが普通だったからなァ。これもある意味ジェネレーションギャップってやつかもしれんな」 「ああ」  友人と待ち合わせたときの会話を思い出す。 「秋の到来とトイレの芳香剤」 「それだわ」  〈金木犀のかおりには/完〉
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