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程なくして月冴の元には身分証明書を忘れているとの連絡が届いた。電話の相手はもちろん桜井青葉である。月冴は拾ってくれたのがあなたで良かったと大げさな程に電話口で礼を告げた。そして当分平日は仕事で行けそうにないので、できれば夜にどこかで落ち合えないかと月冴から提案した。青葉は最初戸惑っていたが、月冴に再び会えることを心のどこかで期待していたように了承した。
月冴は「お礼に食事でも」と青葉を無理やり夜景の見えるレストランに誘った。青葉も最初は遠慮していたが、月冴の熱意に押されるように食事にも応じた。食後のデザートが運ばれたタイミングで月冴は青葉の手をそっと握った。
「本当は桜井さんに一目惚れをしてしまったんです。何とか接点を作れないものかと考えて、わざと身分証明書を落としました」と潤んだ瞳で告げた。美しい顔でこの言葉を紡ぐのは何度目だろう。青葉はあっさりと月冴の手中に落ちた。このことをきっかけに月冴と青葉は恋人同士となった。
三度目のデートで青葉は月冴に「趣味は何ですか?」と聞いた。青葉は二十五歳、月冴は二十七歳。二度目のデートでは、歳が二つしか違わないのだから敬語は止めてと月冴が優しく言ったが、青葉は年齢のせいだけではなく、緊張でどうしても敬語になってしまうと恥ずかしそうに言っていた。今回のデートでもずっと青葉は月冴に対して敬語だった。月冴は青葉の質問に少し考えた後、鞄から一冊の本を取り出した。真っ青というより、紺碧と呼ぶ方が相応しい重厚感漂う表紙には金の刺繍で筆記体の英語が書かれている。青葉が首を傾げ、本を触ろうとすると月冴がさりげなく身を引く。触ってはいけないと言っているかのように。
動揺とも取れる動作を取り繕いながら「聖書なの」と言った。
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