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「聖書?」
「聖書をね、読んでいると気持ちが落ち着くのよ。あ、誤解しないでね。別にキリスト信者ではないし、青葉君を勧誘しようとも思っていないから」月冴がやや大げさに手を振った。
「何だか、月冴さんの清楚なイメージにぴったりですね。どんなことが書かれているんです?」
「私が一番好きなのはこの言葉よ」月冴は澱みのない口調で聖書の言葉を読み上げた。実際に月冴の中でも信念の一つとなっている言葉だった。
【論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになることができる】
「罪を犯してしまっても、それを悔いて償う気持ちがあれば、やがては雪のようにまっさらな道を歩いて行ける……。この言葉を唱えるだけで希望が湧いてくる気がするの」
「罪、ですか」青葉が困ったように俯いた。月冴はその表情を見てどうしたのと聞く。
「実は、僕、詳しくは知らないんですけど、あまり生まれてくるのを歓迎してもらえなかったみたいなんです」月冴は黙って青葉を見つめる。その瞳が言葉の続きを促す。
「生まれた時から母の女手一つで育ててもらいました。そんな母を僕は尊敬していますけど……でもあまり目立たないように暮らしてきたというか……」
「日の目を見てはいけないような?」月冴が核心をついた。青葉が気まずそうに頷いた。
「何があったかは語ってはくれません。僕自身も聞いてはいけないような気がしてたので……。だから今こうして銀行員として真面目に勤めることが母への感謝の気持ちを伝える唯一の手段だと思っています」
「……大変だったのね……そんな大切な話を私にしてくれて、どうもありがとう」月冴は澄んだ瞳から零れる涙を指で掬った。男の前で泣くのは容易い。それでも心の底から悲しんでいるという自分を熱演した。
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