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【1】
「でも、ただの夢だろ?」
和希が教室の机に頬杖をつきながら、呆れたようにそう言った。
締め切られた窓を突き抜けて、セミの鳴き声がけたたましく教室内に響いている。
空調が弱いせいか、涼しさを全く感じられない。
「いやいや、確かに夢にも見るんだけどさ、これはれっきとした記憶なんだって。多分」
前の席に横向きで腰をかけているりらは、慌てた様子で抗議をした。
だが、その語尾は明らかに自信をなくしてしまっている。
和希が疑うような目で数秒見つめれば、りらは首元にある紺色のリボンをいじり出した。
「でもありえないだろ。普通に考えて」
尚も頬杖をついたまま、視線だけをりらに向け、和希は溜め息混じりにそう言った。
「なんで信じてくんないのさあ」
「だってよお、いきなり大海原に落ちてるってどういう状況だよ。どっから落ちたんだよ。ボートから振り落とされたのかよ」
「ボートって、そんなに直ぐ視界から消えるもの? しかも人一人落っことしたことに気付かないわけ?」
「なら、本当はただちょっと沖に出ちまって溺れただけなんじゃねえの?」
「そんなんじゃないってば……。嘘でもないし……本当に何もなくて、だだっ広い海面だけだったんだよ」
諦めたようにも、むきになっているようにも見える表情で、りらは反発する。
もはや信じてもらう気などはなくなっており、ただ不思議な話を披露している状態になっている。
「海に落ちる前のことは覚えてないのか?」
いつも通りの冷静な声で、りらにそう質問したのはまおだった。
二人よりも遅れて登校してきたまおは、スマートな仕草でりらの机の上に鞄を下ろした。
そして、近くの無人席から椅子を静かに引っ張ってくる。
まおは少し口角を上げて微笑んでおり、りらの次の言葉を待っている。
彼女の話を疑っている訳ではなく、謎を解き明かしたいという好奇心がどことなく窺えた。
この暑さにも関わらず、まおは一切制服を着崩しておらず、それほど汗もかいていない。
目にかかるほど伸びてしまった前髪は、彼の不可思議な雰囲気をより一層濃いものにしている。
本来まおの席は離れているが、いつも三人は教室の窓際で、和希の机を共有しながら会話をするのだ。
「それが、さっぱりなんだよね。記憶は海に浮かんでいるところからだし。それに、最近突然思い出したんだよ」
りらは深く椅子に座り直し、ベタに腕を組んで唸った。
「へえ、いつ思い出したんだ?」
まおが続けて質問する。
「この前、三人で海に行くって計画を練ってた時」
「ああ。お前、それで途中から様子がおかしかったのか」
和希が僅かに顔を上げ、頬杖を崩してそう言った。
「え、気づいてたの?」
「何年幼馴染やってると思ってんだ」
「さすがマイベストフレンド」
「まあお前が分かりやすいだけだけどな?」
りらと和希がいつも通りテンポよく言葉を交わしていると、
「そう言えば」
まおが思い出したかのように、遮るかのように、自分の鞄の中をまさぐった。
和希とりらは、何も言わずにまおの鞄に視線を向ける。
「はい、これ」
「ん?」
そう言って取り出されたのは真四角の白い箱で、水色のリボンで綺麗にラッピングされているものだった。
「まさかこれ……」
りらは顔を軽く引きつらせた。
「誕生日おめでとう」
「だから明日だってば!」
意図の読めないまおの柔らかい笑顔を目にし、りらは少し怒ったようにそう言った。
もちろん、本気で腹を立てている訳ではない。
ただ、この間違いが一度目という訳でもないのだ。
「お前これで何回目だよ」
和希がケラケラと笑う。
「なんで毎年間違うのさあ」
りらは今度は呆れた表情で大きく呟いた。
「あれ? 違ったか?」
「もはや覚え直す気ないな? ていうかむしろ楽しんでるだろ」
悪びれることなくクスクスと笑っているまおに、和希はやんわりと指を差してそう言った。
普段は変化のない仏頂面で、それでいて何を考えているのか分からない態度なまおは、周りから距離を置かれてしまっている。
だが、りらと和希の前では幾分その近寄りがたさは崩され、僅かに幼さを取り戻す。
「嫌がらせだよ、ここまできたら」
「まあそんな怒るなよ。明日も祝ってやるから」
まおはゆっくりとした動作でりらの頭を撫でた。
りらはそんなまおの態度に口を噤み、視線を一瞬だけ泳がせる。
まおという男が何を考えているのか、容易には理解できない。
だが、和希はりらのことなら分かっていた。りらのまおに対する恋愛感情は、彼女の心の中だけに留められたものではなく、幼馴染の和希には随分と前から知られているのだった。
和希はニヤつく口元を隠すため、意味もなく一度後方を見やる。
そんな和希のおかしな様子に、まおだけが気付いていない。
まおはりらを撫でていた手をそのままプレゼントの箱へと移動させ、りらの手からそれを抜き取った。
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