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「私は君を信頼しているから打ち明けるよ。私の研究内容は誰にも漏らさないでほしい」
ある日、博士は僕と二人きりになったタイミングを見計らうように話しかけてきた。濃いめに淹れたコーヒーと博士の白衣のコントラストが美しく見えた。
「漏らすも何も、僕はあなたが何の研究をしているのか知らないですよ。研究室にも入りませんし」
「妹からも、君の口の固さはお墨付きだと聞いているからね」
「自信はありますけど。僕、あんまり他人に興味なくて」
「驚いたな、私もだよ」
驚いたような顔には見えなかったが、素っ頓狂な声をあげる博士をとても愛おしく思った。
「それは見ればわかります」
「ひどいな。私はそんなにわかりやすいかい?」
男口調とも違うような、いわゆる「博士のような」喋り方をする様がおかしくてつい笑ってしまう。しかしそんな僕の事はお構いなしに、博士は話し続けた。
「でも一つだけ、キミが気付いてない事があるよ」
「え、何ですか?」
「私がキミを、好いているということだ。陶山くん」
少し顔を赤らめているのは、コーヒーが熱かったからか、それとも照れているのか。僕は突然の告白に驚き、鼓動を落ち着けるのに必死になる。
「そして、おそらくキミも、私のことを好いてくれていると感じているよ」
「ためらいもなく言いますね…その通りですけど」
「ふふふ。他人を好きになるというのは、こんな感じなのだね」
僕の顔を見るのが恥ずかしいようで、手元のコーヒーに目線を落とす。赤く染まった耳に触れたいと思った。
「キミと出会えて嬉しいよ。あの子が連れてきてくれたおかげだ」
「僕もです」
「あの子の人を見る目は確かだからね」
「本当に仲が良いんですね」
「そうだね、私はあの子を愛しているよ」
とても優しく、しかし強く断言した「愛している」は、もちろん僕への感情と違う種類であることは分かった。しかし、先刻僕へは「好ましく思っている」という言い回しだったため、僕を超える愛を目の当たりにしたようで、少々寂しく思った。
「あの子は特別なんだ。小さいころから何もかも完璧で、美しく優しい。あの子の聡明さを手に入れたくて猛勉強して、今の私がいる程に」
冷めかけたコーヒーをゆっくりゆっくり飲みながら、ひとつひとつの言葉を丁寧にその場に置くように呟く。博士の眼は大きく開かれ、どこを見ているのかわからなかった。博士のいつもと違う様子に気づかないふりをする。
「あいつ、お姉ちゃんの研究の手伝いができたらなーってこの前言ってましたよ」
「研究内容は誰にも言えない秘密事項なんだ。まあ、いずれあの子にも手伝ってもらうことになるけれど」
「きっと喜びますよ」
「だといいけれど。それでも陶山くん」
博士は僕の顔を見上げ、頬に手を添えた。冷えた指先が、耳元に痛かった。
「絶対に、あの子を研究室にいれないでくれ。いいね」
「……わかりました」
そう言う他ない威圧感だった。そのまま彼女は僕の顔を引き寄せた。
「いい子だ」
そっと合わさった唇は、酷く苦い味がした。
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