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市川警部
「市川さん、日野の死体遺棄事件……」
木之元琢磨は畳んだ朝刊をデスクの隅に置き、ジッポーのフリントホイールに指をかけた。近ごろはめったに口にしなくなったが、無性に吸いたくなる時がある。引き出しにしまいっぱなしだったマルボロは湿気ていて、ぷかりと吐いた煙も勢いがなかった。見上げた壁掛け時計は十一時を回っている。
「あら所長、禁煙してたんじゃなかったの?」あごを引いて老眼鏡の隙間から目をぱちくりさせる静代さんに苦笑いを返した。
ノンキャリアで警部へ昇進した市川は警察官だったころの上司にあたる。所轄署に異動していたが警部昇進後に古巣の警視庁捜査一課に戻った。
木之元は懲戒免職でも依願退職という名前を借りたクビでもなく、正当な依願退職だったためいまも交流がある。
木之本元の妻は二十九歳という若さで死んでしまい、それ以来独り身を通して十二年が過ぎた。あれほど気立てが良くて気の利く女など現れるはずもない。刑事になんてなるんじゃなかったとどれほど後悔しただろう。でももう、すべてが遅い。
「新聞で見ましたが」椅子を回してふたりに背中を向けた。
「片山大輔の名前はどこから出たんですか」
『ああ、あれか。死体が埋められてた家の所有者が杉村祥子といってな、字は祥月命日のしょうだ。旦那が死んで名義が奥さんになってるんだが、いまはほとんど片山大輔が使っていたと証言したんだよ』
「それが姿をくらましてるんですね」
『うん、杉村さんが電話をしても連絡がつかないそうだ。携帯なんて何台も持ってたんだろうから逃げたとも言い切れんのだがな。ところでその言い回しはなにかあるな?』
「こちらは浮気調査で動いてたんですが、片山の名前が出てきたんですよ。もっとも同一人物かどうかはわかりませんが写真はあります。その方……杉村さんでしたね。当たればすぐにわかりますね」
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