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「これはすごいな」
「すみません、鉢植えだらけで」
櫂の自宅に足を踏み入れた哉は驚きの声を上げた。櫂はしきりに恐縮する。玄関から続く板の間は無数の鉢植えで埋め尽くされていた。それらが何の植物であるのか哉にはほとんど分からなかったが、園芸家であるというのは本当だと感じた。
二階建ての貸家は、一階には六畳一間の居室と縁側があるだけ。うなぎの寝床である。南向きの部屋いっぱいに陽が射しているのは墓地に隣接して開けているからだ。枳殻の生垣をめぐらした坪庭には園芸棚が置かれ、小さな鉢植えがびっしりと並んでいる。
「いま、お茶を」
「いやいや、具合が悪い人は横になってください」
台所に立とうとしたところを哉に押しとどめられた。かえって気を遣わせるのも本意でないと思い、櫂は部屋の隅に腰を下ろした。
「横になったほうがいいですよ。水を汲んできましょうか」
「いえ、おかげさまで気分はだいぶよくなりました。陽射しに弱くて。お恥ずかしい」
「あなたはなんだか、恥ずかしがってばかりですね」
哉がおかしそうに笑うので櫂は赤面した。哉は明るい陽の差す庭に目をやっている。端正な横顔だった。
「庭の鉢植え、あれはみんな朝顔の鉢ですか」
「そうです。変化朝顔の苗です。ご存じですか」
「名前だけは……。風流ですね」
「懐古趣味の植物ですから、だいぶ廃れてしまいました。それでも珍花奇葉にはいくら出しても惜しくないというお客様も、まだいらっしゃるので」
「へぇ……。ちょっと、見てもいいですか」
「どうぞ」
哉は縁側に出て坪庭に並んだ鉢植えを眺めている。そして首をかしげた。
「ずいぶん変わった葉っぱの朝顔なんですね」
「人工交配で育てるんです。かけ合わせによって、こういう変わった姿の葉とか花を持つものができる。そういうものを選んで育てていきます」
「よく見る朝顔の苗とはずいぶん違うな。こんな、細長い葉っぱとか、縮れたのは初めて見ました」
櫂も縁側に立ってきて哉の横に立ち、庭を眺めた。哉の視線を感じて彼の顔を見て、はっと目が合う。哉が慌てたように言いつくろった。
「あっ、ぶしつけに見たりしてすみません。その……あなたの髪とか目の色がきれいだなと思って。鳶色というんでしょうか。日に透けて、きれいな色だ」
櫂は恥ずかしくなって目を逸らした。まわりの人々のように黒い髪、黒い目を持たない櫂は、幼いころから好奇の目で見られたり距離を置かれることには慣れている。しかしこのようにまっすぐに、きれいだと言われたことはない。哉の素直な言葉を、櫂は好ましく思った。
「変わった色ですよね。父がドイツ人なんです」
「そうでしたか」
「ドイツの貿易商でした。関東地震のとき、横浜で被災して亡くなりましたが」
「……」
「母もそのあと病気であっけなく逝ったので、私は天涯孤独です」
櫂は庭に下りて朝顔の鉢を眺め、そのうち一つを取り上げた。手のひらに乗るほどの小さな鉢である。それを哉に差し出す。
「ご迷惑でなかったら、もらっていただけませんか。本当はもっと、ちゃんとしたお礼をしたいんですが」
「いや……これは貴重な植物なんでしょう」
「私が差し上げられるものといったらこのくらしかなくて。夏の終わりに、面白い花がつくと思いますよ」
「そうですか。それなら遠慮なく」
哉はおずおずと鉢を受け取った。発条のようにねじれた小さな葉をつけた朝顔だった。それを大切そうに両手で包み持ってしげしげと眺め、あっ、と小さな声をあげて櫂を見る。そして明るい表情で思わぬことを口にした。
「……じゃあ、この朝顔の生育についてあなたに知らせに、ときどきここに来てもいいですか」
「えっ」
櫂はどぎまぎした。いつもならこんな強引な申し出は断るのだが――。
「……お暇なときがあったら、いつでもいらしてください」
気づいたらそう答えていた。
「はい。楽しみだな」
哉が嬉しそうに顔を輝かせる。櫂もつられて笑顔になった。この街に越してきて半年。はじめて持った温かい交流といってよかった。
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