狂った森の護り神

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狂った森の護り神

茂みの奥から、大きな影がゆらりと姿を現した。そのおぞましい姿に、全員が息を飲んだ。 人の形をした上半身に、黒光りした百足の長い身体。だらしなくだらりと開いた口からは鋭い大きな毒牙(どくが)が飛び出し、紫色の液体が滴っている。目は白く濁り、虚ろで空を見つめていた。何かぶつぶつと呟いているが、何を言っているのかはわからない。 静璃はその姿に見覚えがあった。忘れもしないその恐ろしい姿……昨夜の夢に出てきた化物と同じだった。 静璃は紅の後ろから顔を出し、無意識に口を開いていた。 「…(とどろき)様…?」 静璃の声を聞いた瞬間、轟はバッとこちらに振り向いた。さっきまでの虚ろだった濁った目は、しっかりと静璃を捉え、大きく見開いていた。そして霞がかかったような低く掠れた声で呟いた。 「……か……よ……。」 夢で聞いたものと同じ“華世(かよ)”という名前を口にした。間違いない。この百足の化物が今回の事件の原因となった邪神だ。 「華世…華世…あぁやっと見つけた、やっと……。」 轟はゆらりゆらりと静璃の方へ近づいてくる。兄弟神たちは轟が近づく度距離をとり、間合いを詰められないようにした。轟の目には静璃しか写っておらず、兄弟神たちのことは全く目もくれていない。紅は轟にはっきりと言った。 「轟殿。私たちは都に住む土地神。貴方が攫った娘たちと、貴方を救うために此処へ来た。…貴方が(けが)れに染まった理由をお聞かせ願いたい。」 轟は紅の声を聞いてやっと兄弟神たちの存在に気づいたようだった。兄弟神たちを見ると眉間に皺を寄せ、鋭い牙を剥き出しながら低く唸った。 「…誰だ。私の邪魔をするのか。」 「違う。私たちはただ貴方を救いたいだけだ。穢れを祓い、貴方を縛りから解放する。」 紅が言い返すと、轟はますます顔を歪め、獣のようにグルルル…と唸った。 「穢れなど知ったことか!」 (静璃、下がりなさい。轟殿は君を狙っている。私たちが護るから離れるな。) 紅は目は轟から離さないまま、後ろにいる静璃に小声で話し注意を促した。 「穢れを負った神は、同じ神の手で浄め祓わなければならない。貴方も知っている筈だ。」 蛛が言うと、轟は噛み付くように声を荒らげた。 「黙れ!!!」 そこら一帯にビリビリと響き渡るその声には激しい怒りが込められている。 「そこをどけ!!その娘は私のものだ!!!」 紅は轟に負けないように声を張り上げた。 「これ以上貴方の好きにはさせない!!私たちの話を聞いてくれ!!」 「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇ!!!!!」 轟は兄弟神たちに吠えるように叫んだ。もうまともに話ができる状態ではなかった。兄弟神たちは神器を構え、ぐっと腰を低く落として攻撃に備えた。 「私の邪魔をする者は、皆等しく私の敵だ!!!!」 そう叫んで、一際大きな咆哮(ほうこう)をした。その恐ろしい咆哮は凄まじい瘴気を纏い、森を震わせ、兄弟神たちの耳を圧迫した。 兄弟神たちは思わず頭を抱え耳を塞いだ。 「くっ…!!皆下がれ!!」 紅は咆哮に耐えながら指示を出した。 轟は凄い勢いで身体をくねらせ、静璃に向かって突っ込んできた。 蒼が静璃を抱き上げ、間一髪で轟を避けて木の上に避難した。 轟は獣のように吠え、怒り狂いながら木に突進した。大きく木がゆれバランスを崩した蒼が静璃を(くう)へ放り投げ叫んだ。 「桃!!」 「わかってるよっ!!」 桃が錫杖(しゃくじょう)をシャンッと地面に突くと、地面から太いツルが飛び出し静璃を空中で巻きついて優しく受け止めた。 「静璃さん!大丈夫!?ツルにしっかり捕掴まって!!」 桃が下から声をかけた。静璃は必死にツルに掴まり声を張った。 「後ろ!!!」 桃がバッと振り返ると、轟が腕を大きく振りかぶって攻撃しようとしていた。 「っ!!」 桃はのけぞって後ろに下がろうとしたが、とても避けきれない。 「させるかっ!!」 轟が手を振り下ろそうとした瞬間、炎が轟の後ろから薙刀(なぎなた)を振り下ろした。 火を纏った薙刀は確実に轟の腕を突き刺したが、轟の皮膚は硬く完全に斬ることができない。 「ッチ!硬ってぇ!」 轟は低くグルルルと唸り声をあげて炎を睨みつけた。そして薙刀が刺さった腕を振り下ろし、炎ごと吹き飛ばした。 「炎様!!」 静璃は驚きと恐怖で名前を呼ぶことしかできなかった。炎がつけた腕の傷は、みるみるうちに塞がっていく。轟はツルを登って、先端にしがみついている静璃に手を伸ばしてきた。殺される。そう思った。恐怖で動くことすらままならず、ぎゅっと固く目を閉じた。死を覚悟した瞬間、轟の声がはっきりと聞こえた。 「華世…!!」 静璃は轟の顔を見て、はっとした。兄弟神たちに向けていたあの怒り狂った恐ろしい表情ではなく、悲しみに満ちた顔をしていた。まるで恋人と引き離されたような悲しい表情。一瞬、轟が伸ばした手を取ろうか迷ってしまう程、あまりにも哀れに見えた。 「静璃!!!」 紅が轟に光の矢を放った。光の矢は轟が伸ばした腕に刺さり、強い光を放った。紅が片手で(いん)をつくり、早口で呪文を唱えた。 『悪しき者を浄め祓いたまえ!!滅!!!!』 「グァアアアアァァァァァア!!!!!」 轟は凄まじい雄叫びをあげ、腕を抑えながら悶え苦しんだ。そのままツルから落ち、地面に倒れこんで動かなくなった。 「静璃さん!今降ろすからじっとしててね!」 桃が下から声をかけると、ツルが静璃を抱えるようにするすると動きストンと降ろした。 「桃様ありがとうございます…。」 静璃は桃に震える声でお礼を言った。桃が心配そうに静璃の顔を見つめた。 「怪我はない?怖かったよね。もう大丈夫だからね。」 そう言って静璃を抱きしめた。ふわりと桃の花の香りが、静璃の鼻を掠めた。 「だ、大丈夫です…。」 自分よりも小さい桃に抱きしめられ、静璃は顔を赤くしながらすぐ離れた。そして動かなくなった轟を見て、先程のあの表情を思い返した。 (この人はただ、かつての最愛の人を探しているだけなんだ…。) そう思うと可哀想に思えた。 炎が倒れている轟を覗き込んで言った。 「やったのか?」 「いいや、一時的に気を失っているだけだ。」 紅が言うと、炎はチッと舌打ちをしてなんてしぶとい野郎なんだ…と文句を漏らした。 「一度引くぞ。今の段階では轟殿を祓うことはできない。目を覚ます前に静璃を安全な場所へ連れて行こう。」 紅が歩き出すと同時に、不安そうな顔をしている静璃に白夜が優しく声をかけた。 「もうすぐ日が暮れる。静璃さん轟殿のことは私たちが何とかするさ。今日はもう神社へ帰ろう。」 「はい…。」 静璃は白夜に手を引かれながら、哀れな轟から目が離せないでいた。伝えなきゃ。この人は悪くない。ただ探しているだけだと。 静璃は先を歩く兄弟神たちに声をかけた。 「あのっー」 その瞬間、轟の目がカッと開きゆらりと起き上がった。静璃の声で振り返った紅が咄嗟に大声をあげた。 「危ない!!!!」 静璃が振り返るとすぐ後ろに轟が迫ってきていた。大きく開いた口から鋭い毒牙が飛び出している。静璃は助けを叫ぶことも出来ずに、ぎゅっと固く目を瞑った。 「ゔぁぁぁぁあああ!!!!」 次の瞬間に聞こえた叫び声は自分のものでも轟のものでもなかった。 目を開けると、白夜が静璃の前に立ち塞がるようにして護っていた。白夜の左肩には轟の鋭い毒牙が突き刺さって、鮮血が溢れ出している。 「白夜様!!!」 静璃は思わず叫んだ。轟は完全に我を失っていて、獰猛な獣のように白夜の身体に噛みつき離れない。白夜が逃れようと身をよじる度に鋭い毒牙がミシミシと音をたててめり込んでゆく。 「っこれでも…!喰らえっ!!!」 白夜は力を振り絞って神器の刀を抜き、噛みついている轟の首元に思いっきり突き刺した。 『鳴り響きたまえ!!龍雷門(りゅうらいもん)!!!!!』 白夜がありったけの声で叫ぶと、刀からバチバチと閃光が走り、バリバリバリッと大きな音をたてて雷が轟の全身に駆け巡った。 「ギャァァァァアアアアァァァ!!!!!」 轟は凄まじい叫び声をあげると白夜を離してもの凄い勢いで森の奥へ走って行った。 白夜がどさっと倒れ込むと、他の兄弟神たちが素早く駆け寄り仰向けに起こした。 「白夜!平気か!?早く手当てを!!」 白夜は荒く息をしながら弱々しく口を開いた。 「…これくらい…平気だ…。それより…静璃さんに、怪我はないかい…?」 「はい…!白夜様のおかげで無事です…!」 静璃が白夜の顔を覗き込んで応えると、白夜はほっとしたように微笑んだ。 「っ…まずは自分の心配をしろよ。」 蛛が白夜の手当てをしながら小さく悪態をついた。それを聞いて白夜はふっと笑いすまない、と呟いた。 白夜の応急処置を終えると、白夜を抱えて兄弟神たちと静璃は足早に森を出て神社に帰った。
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