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百足が愛した娘
その日の夜、白夜は傷による酷い高熱に魘されていた。蛛が作った解毒剤を飲んだとはいえ、強烈な毒と深い損傷が猛威をふるっている様だった。
「今夜は眠れそうにないな。…俺も、お前も。」
蛛は荒く息をして顔をしかめている白夜を見て、ため息混じりに呟いた。
白夜は悪夢に囚われて苦しんでいた。傷から毒を介して轟の憎しみと悲しみが穢れとなって流れ込んでくる。
(身体が重い…全身が痛む…息が苦しい…)
もうずっと長い間苦しめられている気さえした。身体の中で渦巻く穢れが白夜を一層苦しめる。
“許さない” “どうして” “恨んでやる” “置いて行くな” “寂しい” “何処にいるんだ” “私のものなのに”
頭に轟の憎しみと悲しみに溢れた言葉が次々と浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。白夜は流れ込んでくる轟の穢れに抗うように助けを求めた。
(誰か…助けてくれ…)
その時、若い娘の声がはっきりと頭に響いた。
「轟様、華世はここですよ。」
その娘の声がした瞬間、渦巻いていた穢れが消え去り身体がすーっと楽になった。そして、誰かに抱かれた時の様な心地よい温もりが白夜を包み込んだ。
轟の言葉もいつの間にか聞こえなくなっていた。
暖かい陽の当たる縁側で幼い子供と老婆が座っている。よく見ると、その子供は静璃とよく似ていた。
(これは…記憶?)
子供は老婆の膝に寝っ転がって、きゃっきゃっと笑っている。
「ねぇねぇおばあちゃん!あのお話して!」
「静璃はこのお話がほんとに好きねぇ。」
「うん!大好き!ねぇ早く早く!」
「はいはい、わかりましたよ。」
子供が急かすと、老婆はふふふと笑って子供の頭を撫でながらゆっくり話し始めた。
「昔々、ある森に独りぼっちの神様がいました。その神様は森を護るためにずっと一人で、とても寂しい思いをしていました。ある時神様は、森に迷い込んできた人間の娘に恋をしてしまいました。神と人が恋をすることは古くから禁じられていることなのに、神様はどうしてもその娘のことが忘れられなくなりました。娘は、貴方と一緒にいられるならこの身がどうなっても構いません、と神様に言いました。神様は美しく綺麗な心をした娘を強く抱きしめて、例えどちらかが先に生を終えようと、一生を遂げようと天に誓いました。そうして娘と神様は夫婦となり、いつまでも幸せに暮らしました。」
老婆が話終えると、子供が満足そうな笑みを浮かべた。老婆は子供の頭を撫でながら、続けて言った。
「おばあちゃんにも昔ね、愛していた人がいたのよ。」
「それってだぁれ?」
子供が聞くと、ふふふと笑った。
「さぁ、誰かしらねぇ。」
「もー!教えてよぉ!」
子供はぷくーっと頬を膨らまして駄々をこねた。老婆は優しく頭を撫でながら子供に言った。
「静璃が大きくなったら教えてあげる。」
子供は老婆を見上げ、大きな目を輝かせた。
「ほんと?じゃあ静璃、早く大きくなる!それでね、お話の神様みたいな人とね、夫婦になるの!」
「あら、じゃあ素敵なお姉さんにならなきゃねぇ。」
老婆はそう言って、頭につけていた赤い珠飾りの簪を子供の髪につけた。
「静璃も素敵な殿方を見つけて、幸せになってね。」
老婆が優しく笑いかけると、子供は頬を赤くして
「うん!」
と元気に返事をした。そして老婆の膝に顔を埋めて、呟いた。
「おばあちゃん、大好きだよ。」
「えぇ、私も大好きよ。」
老婆が返すと子供は満足そうに笑って膝の上ですやすやと眠った。
老婆は子供の頭を撫でながら、静かに口を開いた。
「…私の愛していた人はね、轟という森の神様なのよ。お話のようにいつまでも一緒にはいられなかったけれど、とても幸せだったわ。」
老婆は顔をあげて懐かしむように目を瞑った。
「あの時、黙ってあの方の元を去ってしまったから、きっと怒っていらっしゃるわね。」
老婆は目を瞑ったまま、困ったように笑った。
「轟様…華世は、こんなにも歳をとってしまいました。きっと貴方は、あの時の美しい姿のままなのでしょうね。」
老婆はゆっくりと目を開けて、空を見つめながら悲しいような寂しいような顔をした。
「もし、もう一度、貴方に会えるなら、一言謝りたい。」
そして、もう一度目を瞑り、囁いた。
「轟様、華世はずっと貴方を愛しています。」
記憶はそこで止まっていた。
白夜がゆっくりと目を覚ますと、枕元に蛛が座っていた。蛛は腕を組んだままうつらうつらしていた。
「蛛…?」
白夜が声を掛けると蛛は目を覚まして大きな欠伸をしながら言った。
「やっと目が覚めたか。」
元々蛛の目の下にあった隈が濃くなっている。着物も乱れていて長い時間傍にいた事が見て取れた。
「…看病してくれたのか?」
蛛は答えずに頭をガシガシと掻きながら煙管を吸った。
「…三日も寝込みやがって。後でお代はきっちり払って貰うからな。」
蛛は不機嫌そうに顔を背けた。
白夜はそんな蛛にふふっと笑い、ありがとうと言った。蛛はちっと舌打ちをしてふーっと煙を吐き出した。
蛛から白夜が目を覚ましたと聞いて、静璃と兄弟神たちは白夜の元に集まった。
「うぇ~ん!!よがっだぁ!!」
桃が泣きじゃくりながら白夜に抱きついた。
「こら桃、傷はまだ治ってないんだからあんまり抱きつくな。」
紅が白夜から桃を引き剥がした。
「…よかった。」
蒼が呟いた。
「全然目覚まさねぇから結構心配したんだぜ!?」
炎が白夜の背中をバシバシ叩きながら泣いていた。
「ちょ、炎、痛いぞ…。」
白夜は痛みに眉をひそめながら笑った。
静璃は元気そうな白夜にほっと胸を撫で下ろした。紅はそんな静璃を見て、ひそひそと耳打ちした。
(ほら、平気だっただろう?)
静璃は安心したようににこりと笑顔を向けた。
「そうだ、静璃さん。」
白夜は思い出したように静璃に向き直った。
「君のお祖母様、華世という名前じゃないかい?」
「っ!」
静璃は白夜の言葉を聞いてはっとした。
そうだ、祖母の名前は華世だった。
どうして思い出せなかったんだろう。ずっと一緒にいたのに、今まで思い出せなかった。
「そうです!祖母の名は華世です!」
静璃は勢い余って大きな声で返事をした。
兄弟神は口を揃えて、え!?と驚いた。
「じゃあ轟殿が言っていた娘は静璃のお祖母様だったのか。」
「お祖母様と静璃が似ているから轟殿は勘違いして静璃に執着してたんだ!」
「なるほど、全ての辻褄が合うな。」
静璃は白夜に聞いた。
「どうして祖母の名が華世だとわかったんですか?」
「轟殿の毒に魘されていた時、何故かは分からないけど、お祖母様の記憶が流れ込んできたんだよ。」
白夜は見た記憶のことを説明した。
「その記憶の中で、幼い君とお祖母様が縁側で話をしているのを見た。そしてお祖母様が、“轟様、華世はずっと貴方を愛しています”、と言ったんだ。」
静璃は白夜の説明を聞いて胸がじんわりと熱くなった。
「…そうだったんですね。ありがとうございます。」
「謎がひとつ解けたな。後は轟殿をどうするかだが…。」
白夜が言うと、紅が口を開いた。
「それについては策がある。書妖が教えてくれた。」
静璃と兄弟神たちは、策を練るために大広間に集まった。
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