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「……あの、」
授業が始まっていて、人気の無い静かな廊下をスタスタと歩く男の背中に、意を決して呼びかけた。ポケットに手を突っ込んで、無言のまま振り返った男はやはり仏頂面で唇を一文字に結んでいる。元々目つきが良くないのか、鋭い眼差しに気圧されながら、己を鼓舞した。
「巻き込んで、すみませんでした」
「本当にな」
「……私の所為で、貴方まで説教されて」
「本当にな、すげー迷惑」
「いや私と言うか、大体…!」
――しまった。もはや食い気味に腹立たしく肯定されて、瞬間的に何かの糸が切れかけた。思わず喧嘩腰の言葉を勢いよく発してしまったことに、今さら後悔しても遅い。
でも、あの呑気な幼馴染の笑顔を思い出せば「節の所為だ」とその後に繋げることは躊躇われた。一応全て私のためにやってくれたことだし、と考えを改めて反省する。節、バカだけど。
「大体、なに?」
「…何でもないです」
「ごめんなさい」と再び告げようとすると、目の前に立つ、何の変哲も無い黒の学生ズボンでさえ脚の長さが分かる男が、大きく溜息を漏らす。
「それ、やめれば?」
「…え?」
「無理して取り繕うの?絶対ボロ出るし無駄」
「……ど、どういう意味?」
綺麗で整った顔は、全く乱れることが無い。この蒸し暑い日にも涼しげな空気を纏う男が、躊躇うことなく再び口を開く。
「"うるさいし面倒くさい"って、どうせ直ぐ本性バレんのに無理する努力必要?って意味」
そして言い放ったことに満足したように再び歩き出す男の言葉を、頭で再生すれば怒りで震え始める。
ウルサイシメンドウクサイ。
――なんだ、この男。
「…あんた、性格悪いって言われない?」
「言われる」
またあっさり肯定されて、こちらの怒りのボルテージだけ勝手に上がる。やっぱり節、大嘘吐きだ。うちのクラスには良い奴しか居ないんじゃなかったの。
「今に見てなよ、絶対おしとやかで慎ましいキャラでいくから!」
「ああ、うん。興味無いし邪魔、どいて」
前に立ち塞がって睨みあげながら伝えるのに、こちらの興奮具合とは全く釣り合いの取れない返事をされて、とうとう立ちくらみを起こしそう。(怒りで)
「――"おしとやかキャラ"でいくの?」
「!?」
背後から突然聞こえてきた別の声に、身体が飛び上がる。振り返れば、女子生徒が私達をじっとこちらを観察していた。痛みの知らない艶々の長い黒髪が白と淡い水色のセーラー服によく映えている。腕を組んでじっとこちらを見つめる眼差しに吸い込まれそう。
「……宮脇さん、だよね」
「あ、は、はい」
鈴を転がすような声で尋ねられ、スクールバッグを胸に抱えたまま縦に頷く。軽く頷いた彼女が、不思議そうに首を傾げると、はらりと美しい髪が束になって肩から落ちた。
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