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「な、なんなの…!」
「馬鹿女」
「ハ?」
「お前は言われたことも守れねえのかよ」
絶賛不機嫌です、と言わんばかりの低い声でこちらの行手を阻んだ男が大きな舌打ちを落とす。
「……えっと保城君。どういう意味ですか?」
何故朝からこの憎き男に馬鹿呼ばわりされなければならないのかと怒りに震えながらも、頑張って大人の対応をしてみる。
笑顔で問いかけると、男の整った顔に「きもい」と書いてあってぶん殴りたくなってきたけれど、それも私は大人なので、と堪える。
「節に教えてもらった通学路、まだ覚えられねえのかよお前は。そっちじゃなくて右に曲がんだよ」
「…いや、あれは通学路っていうかあの男独自の相当な遠回りコースですよね。普通みんな駅出たら左に曲がって、」
「馬鹿は話にならねえわ」
「ハ??」
この男、どうしてこんな腹立たしいのだろう。涼しげな仏頂面にパンチを食らわせたい気持ちが止められなくてこっそり拳に力を込める。
「そんな言うなら、行けば」
「…え?」
「お前の思う通学路。通ってみろよ馬鹿」
「言われなくてもそうしますけど…!?」
な、何が言いたかったんだこの男…!
朝の貴重な時間を無駄にして最悪だ。睨みながら吐き捨てて、「あと馬鹿って言うな!」と付け足してから、勢いよく男が居るのと真逆の方向に走り出した。
なんであれが、節の親友なのか本当に全く分からない。おバカで呑気なあの男と、憎き保城臨が結びつかなすぎる。怒りをぶつけるように一歩一歩いつもと違う道を踏み締めていた時だった。
「、え、」
曲がり角に辿り着いた瞬間、身体全身が冷たい何かに覆われる感覚に歩みが止まった。肌が粟立って、体温が一瞬で奪われていく。
――あ、この感じ、まずい。
がくがくとみっともなく震え出した身体を両腕でなんとか押さえようとするけれど、全く追いつかない。そんな私の違和感を察することなく、同じ制服に身を包む生徒たちが、横を次々と楽しげに通り過ぎていく。
酸素を上手く取り込めなくて、短い呼吸を吐き出しながら、でも周囲に"居るものたち"を確認する勇気も湧かない。ぎゅ、と目を閉じてその場にしゃがみ込む。
「おい馬鹿」
ぶっきらぼうな声の主は、強く私の左手を引っ張り上げて私が疼くまるのを寸でのところで阻止してきた。
「…ほうしろ、」
額に冷や汗が滲んで、紡ぎ出した男の名前も頼りなく揺れた。そんな私を凝視してくる男はやっぱり不機嫌そうで、「なんなの」と言う前に、掴んだ腕を今度は自分の腰元に誘導してくる。
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