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夏休みに、制服を着ることになるとは思ってもいなかった。皮肉にも節のお葬式で袖を通した以来だと、到着した最寄駅でふと思う。
『よし分かった!初登校に緊張しっぱなしの珠杏に、通学路にある楽しさを教えてしんぜよう』
あの時、同じ制服を着た人達が、明らかに駅を出て左に曲がっていく中で、幼馴染は真反対の方角に私を意気揚々と誘導した。
ぎゅっと、目を瞑る。
そして、ゆっくり恐る恐る瞼を持ち上げてみる。
「…珠杏、どうした」
駐輪場から自転車を取り出した男が、突っ立ったままの私を呼んだ。ジリジリと今この瞬間にしがみつくように鳴き叫ぶ蝉の声が、暑い夏の中に纏わりついていた。
ゆっくりと顔を動かして、整った瞳と視線を交わらせれば後は勝手に、頭で繰り返した通りに唇が動く。なるべく自然な笑顔を浮かべることに努めた。
「臨、大丈夫だよ」
「……え?」
「私やっと"見える"ことが、特権だって思った」
「………、」
「節は、私と臨の間でちゃんといつも通りバカなこと言って、元気に笑ってるよ」
なんとか告げ終えて「今更怖がらないでよね」と付け足そうとした。
ガシャン、と大きな音が立ったのは臨が自転車を放り出した証拠で。そのまま長い脚で近づいてきた男は、呼吸を置く間もなく私を強く引き寄せた。突然のことに声が出なくて、だけど「抱きしめられている」と少しずつ理解した。
不意に与えられた不器用な温かさに、瞬きの度に視界が曇る。
「節、此処にいんの?」
「うん、今、"臨ちゃんの熱烈なハグ苦しい〜〜"って言ってる」
「……馬鹿」
力無く笑った男が、私を抱き締める腕の力を込めた。僅かに肩が揺れている気がして、「臨が私を通して節を抱き締めている」のだと実感する。大切に、壊れ物を扱うかの如くそっと私も背中に腕を回した。
泣いている臨を抱きしめて、私もぽたぽたと流れる涙をそのままにぎゅっと、強く目を瞑る。
――お願い。
そして、ゆっくり恐る恐る祈りを込めて瞼を持ち上げても、やっぱり何も、世界は変わらない。
節。どうして、逢いに来てくれないの。
どれだけ目を擦って、何度瞬きをしても。
"見えなくて良いものが見える"側の筈の私は、節の姿を一度もこの目で確認できない。
怒ってしまったのだろうか。
いよいよこんな面倒な幼馴染は、愛想をつかされた?
それでも、臨の気持ちが軽くなるならいくらでも嘘くらい吐ける。罪をちゃんと自覚するように、臨の胸に手を添えて距離を離した。
「臨。節なら此処に居るから。大丈夫だよ、臨がそんな風に責任感じることないし私のことも変に気にかけたりしないで、」
「うるせえよ、それとこれとは話が別」
「…っ、」
懸命に話している途中で、無礼にも遮る男が私の後頭部を引き寄せて自分の胸元に抱く。
この人はこのままじゃ、責任を感じて私の側に居てくれてしまう。それが痛いほど分かっているのに。
「…臨"も"、側に居てくれるの」
「さっきからそう言ってんだろうが」
広い背中に手を伸ばす狡い自分に、今度こそいよいよ抗えなかった。
いつもの回り道の入り口で「正しさ」が静かに、確かに埋もれていくのを感じていた。
3.その回り道が、苦しさの入口
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