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「…なに」
突然相対することになった人物に、心の準備を全くしていなかった。「おさまれ」と念じるほど忙しなく拍動を急ぐどうしようもない心臓を抱えながら、表情は固いままを保つ。
「お前、いちいちムキになって答えんじゃねえよ」
「……は?」
不機嫌そのものみたいな声が、明らかに私を非難している。舌打ちも聞こえたような気がして、眉間に皺をギュッと寄せた。
「揶揄われるのなんか、昔からそうだっただろうが。変に反応する方が怪しいっていい加減学べ馬鹿」
腕を組んだまま鬱陶しそうに伝えられ、そこで漸く何の話かを理解した。
『さっさと付き合え』
『つかもう結婚しちゃえば?』
『え、こいつと?絶対あり得ないでしょ』
みんなからの提案は、大きな手振りまで付けて、男を指差しながら全面的に否定した。それが不自然だと分かっていても、笑って周りの意見を吹き飛ばす以外の方法が思いつかなくなるくらいの私の焦りを、この男は簡単に「変な反応」だと揶揄出来てしまうのだ。
『――こっちのセリフだわ』
たったそれだけを、ビール片手に難なく吐き出したこいつの姿も一緒に思い出して、それが正しい反応なのに胸を抉られる私は、あまりに滑稽だと自覚している。
「悪かったですね。別に何も無いのにこんな馬鹿とのこと怪しまれたら、さぞ迷惑ですよね?以後気をつけます」
世界一レベルで可愛くない言葉と共に、今度こそ腹立たしいほど高身長な男の前を通り過ぎようとした。
「…珠杏」
「、」
「勘違いされたくないなら、そんな風に名前も呼ばない方がいいと思いますけど」と、携えた反論を口に出せない。それどころか結局また立ち止まって、睨みを利かせながらも男の方を見向く自分に嫌気がさす。
「明日、行くんだろ。何時」
「…良い」
「は?」
「来なくていい、1人で行けるから。一緒に行く意味別に無いし」
「…お前な、」
「……臨」
面倒そうな溜息と共に、この男はどんな風に私を諭そうとしているのだろう。
いや、違う。
――"どんな風に諭されたフリをして、私はまたこの男を縛ろうとするのだろう"、だ。
答えを知る前に咄嗟に名前を呼べば、向こうの言葉は不自然に途中で立ち消えた。
『"もう良い"は、私じゃなくて。あいつに言ってあげるべきことだよ』
ついさっき、よーちゃんに伝えたばかりの言葉がまるでブーメランのように己の心を突き刺した。
「もういいよ」
「……は?」
「――臨。もう、私のことが"可哀想"って、思わなくて良いんだよ」
いつもの仏頂面が、みるみる驚きに満ちて薄く唇が開かれる。否定と肯定も生まれない沈黙に居た堪れなくなって、「大丈夫だから」と言葉を残し、逃げるようにその場を走り去った。
「同情」だけで繋がれた私とこの男の脆い道がゴールを見つける前に壊れていく音が、耳鳴りのようにずっと遠くで響いていた。
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