詩は駆ける。

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僅かに頬を引き攣らせる。 冷えたアトモスフィアが爪先から駆け上がり、さても大袈裟に私の意識を覚醒せしめる。 大仰な事である、私の瞳は既に暗黒たる其の路を見据え、あまつさえ睨め付けてさえ居るのだ。 私は間もなく駆け出す。 陰湿なる生活。私の血流は粘度を増し、宿主を脅かす壊れた寄生虫と成り果てた。 私は間もなく駆け出す。 堕落に身を奴した肉体、怠惰に従僕した恥ずべき奴隷。 本来不可視である筈の贅という罪悪。 最も忌むべき暴食という咎。 身を包む、咎人が咎人である事を周知し、蔑める為に可視化された屈辱の刻印。 恥辱や屈辱を齎す重き枷。其の枷は肉体のみならず、臓腑にまで括られ、ナメクジのように張り付いて離れない。 或いは私こそがナメクジか、罪を喰み醜く肥え太った己を嘲笑う。 大罪と云う禁断の果実、その表面を這いずり回る、私こそがナメクジではないか。私は自らを嘲り顔を紅く染めた。 白い息を吐く。生命を維持するだけで私の心臓は張り裂けそうだ。 脱却せねばなるまい。 罪には罰を。 燃やさねばならぬ。 燃やさねばならぬ。 此の身に付着した重き枷を解き放ち、新しい私と成るのだ。 研鑽を積む毎に痩身となった仏陀の様に、此の路は小悟への路。然し其れすらも凌駕し、到達せしと見据えるは大悟への旅路。 新しい己の、記念すべき一歩を踏み出すのだ。 旗を掲げよう、月面に打ち込んだスタァアンドストライプ。畏敬すべき星条旗。 視えずとも、太平洋を臨む。 Dawn 時は来た。 薄く顔を覗かせた黄金の光彩。黄金の光彩が宵闇を徐々に追い遣り、緋と蒼の薄らけた曖昧な境界線を暗黒方向へと圧しあげていく。そうして勝ち誇った様に世界へと凱旋する、決して直視する事の叶わない白、白。 何人たりとも決して手にする事のない財宝の眩さ。しかし不変のプレシャスは地球に生きとし生ける全ての活動に助力して、独占される事のない宝石はやがてアモルファスな恒産として愛を与え続けるのだ。 敗残兵のように領地を奪われ逃げていく黒色。だが我々に安寧を与えていたのは、僅の過去では確かに彼等であったのだ。 アンダードッグ、僅か数時間の以前には趨勢を見極めた勝者であった筈の者達。嘆きは言霊し音の無い半鐘を打ち鳴らす。 嗚呼、雲ひとつない紫です。 嗚呼、澄み渡る様な紫です。 私は温かな光の中に居て、頭上の冷え冷えとした天井は未だ恒星を孕み。 映し出された私の陰は、間延びしたその方向へと私を誘う。 暗闇の音色を爪弾く友人には夜の挨拶を。 Bonsoir 片手を持ち上げ、あくまで恭しく。 逆しまに、エネルギィを奉仕する暁の紳士に朝の挨拶を。 Bonjour ゆるりと下げて、あくまで朗らかに。 儀礼はあくまで、厳粛を以て行われなければならない。静謐を以て執行されるべきである。 たった今生まれた漆黒の友人よ。太陽に依って齎され、しかし日が輝く程に其の闇を強くするアンヴィバレンスを纏う私の児。形而上の貴方は故に而して現世、私の堕ち出たる時より傍らに確かと居た。私が光に背を向けた時、何時でも私の眼前に確かと生まれ繰り返すのだ。 認識の主体たる私、私が認識する限り何時迄も貴方は生まれ代わるのだ。繰り返す、私のバイオリディムとシンメトリックな時を刻み、電池が切れる末期迄、飽くまで繰り返す。 嗚呼、三元色を全て喰らい、尚も肥る事のない業突く張りな友人よ。貴方。 君の底抜けな罪を見習って、今から私は暁に背を向ける。駆け出すとしよう、誘い出しておくれ。手を引いておくれ。 影よ、どうか私の標となっておくれ。 やがて貴方と一つになり、常闇へと埋葬さるる其の時まで。 Shall we dance ? 君と片っぽずつ紅い沓を履く。 サア、コムパスは北を示し確かに留まった。 朝日に背を向ける。私には経典という目的もない、緊まる輪を頭に戴き連れ廻される哀れな猿こそが私。導くのは影法師という訳だ。なんと滑稽な事だろう。 既に仄暗きと値する脆弱な蟻共よ。 真っ黒へと漕ぎ出す私はもう猿に在らず、さながら大海に臨む屈強な船乗りだ。 乗っているのは両の脚、筏の様に心許無いこの脚を。載っているのは私という荷、奮い立つ腕に頼り荒波を越えんと大いに気を張る。 ヨォソロゥ!心昂まる鬨の声と共に、未だ塗り終えていない暗青色に向かい、正に漕ぎ出する私の目。 私の眼が、ふと、違和感を捉える。 其れは或いは幻惑で有ったのかも知れない。 背に受ける恒星の滾り。其れは誤う事の無い唯一のモノ。私の立つ憐れな惑星は、真なる光源を、唯ったひとつ据えて存在する、惨めな天体で有る筈。 では、眼前に在る彼の光は何だと云うのだ? 矢張り幻覚か、一体如何した事だろう? 寂しさを覆い隠して耀く誤魔化しの世界。私の認知し得る暗澹たる此の視界に、輝かなる恒星が、炫かな光が、背に受けるよりも明確な温もりが、未だ暗き街路に確っりと存在せしめて居るのだ。 柔らかな、存在し得ない二つ目の恒星。靡く毛髪は欠片とて未熟無く、温度を主張する寒々しい程に露出している一揃えの脚。口元を豪奢な柄のマフラァで隠し、ニット地のセェタァで覆われた胸元は、弾けそうに瑞々しい二つの果実を寧ろ誇らしげに主張する。何より眠たげな其の瞳が、私を捉えて離さない。 惑星は恒星の光を反射して輝くと云う。 では、朝日を身に浴びて、しかし朝日より尚も眩しく光る。彼の女は何であろう。 其れは正しく恒星である。 可愛らしく整えたボディラインを右へ左へ、規則的な其の動きに併せ、宛らボサノヴァか、腕に掛けたハンドバッグをとろりと催眠術の様に揺らす。粘性の高い彼女は怪しげな恒星であった。 私を誘惑する、二つ目の光源。怪しげな光彩。尚も腰を揺らし、立ち竦む弱い私へと接近して来るのである。 仕事帰りであろうか。朝焼けの淫夢が囁く。 コンナ早クニ、オ暇ナノカシラン 蠱惑的な匂いが鼻腔を擽る。 果たして其の言葉は幻聴か。 ぼぅと立つ私を嘲笑うものであったのか。 じぃと見つめる。 いけない。 目が合い慌てて逸らす。 此れは私の堕落を誘う、催眠薬である。 彼女は私を誘惑しているのだ。 果たして、私という蒙昧な存在を自らのリディムに揺らす、彼女はmajaで有ったか。 神秘と云う強固なベェルに包まれた其の肢体を存分に晒し誘惑する。 彼女はmajaで有ったのだ。 敬虔な者達が眉を顰め、口々に非難したという彼の絵画、美貌。 其れはきっと、今の私の様に怪しげな蠱惑に立ち向かえず、正面から見据える事が出来なかったのではないだろうか。 私が眼を背けたからであろう、majaはつまらなそうに舌打ちをして私の横を通り過ぎ去っていった。 此れは勇気か、怖気か。 majaは去っていった。 majaは去っていったのだ。 私は誘惑に打ち勝った。 私は誘惑に打ち勝った。 私は誘惑に打ち勝った。 私は誘惑に打ち勝ったのだ。 顔を上げる、目の前の幻想は既に無い。 仄暗い世界は未だ其の暗闇を保っている。 牛乳配達をする者が在る。 洗濯物を干す者が在る。 寒空の下、日常を繰り返す憐れな惑星達が、朝日に反射してキラキラと呼気を瞬かせる。 気温の低さとは裏腹に、其の光景は牧歌的な暖かさを私に感じさせた。 私も其の景色の一つと成るのだ。 既にmajaは去った。 吐く息は未だ白い、私の肺は冷酷な此の世界よりも温りが有るのだと伝えて居る。 歩き出せ。 駈けるのだ。 石炭を焚べた蒸気機関車の様に。若き肉体を燃やし、熱き白煙を巻き揚げるのだ。 警笛を鳴らせ、私が走るぞ。 軽快な足取りで、ひとつ踏み出す。 今が正に其の時。 其の時。 眩暈を覚える。 ゆらゆらと、危うげに視界が揺らぐ。 嗚呼、冷淡な此の惑星は、尚も私の進路を阻むのだ。 アスファルトに身を隠す陰湿さが、私の足元に隆起する。其の残酷さを以て、私と云う鉄の馬を確かに脱輪せしめたのだ。 私の脳髄に傷みが届く。 危機を伝達する私の肉体構造が、故にほんのつまらない隆起を聳え立つ城壁と呼ぶのだ。 崩れ去れ。 崩れ去れアスファルトの城よ。 私は蹲り、最早立つ事も困難であるのだ。 痛みに打ち震え、前方の視えない壁を臨む。 真に打破すべき壁は、私の怠惰という精神構造。挫いたのは心。此れ以上逆らうなと囁く、激しく渦を巻く川の流れで在る筈なのに。 非情である。 真逆、肉体を損傷し阻むのか。 痛みが脳髄を蝕む。 脆弱な精神が私の心を支配する。 私は弱さに震え、しかし其れでも尚、首を振り奮起する。 立ち上がれ。 新しい己、たったひとつ、足を前に進むのだ。 嗚呼、神よ。 唯一つ、私の歩みを唯一つ進める、勇敢なる心をお与え下さい。 跪き、既に私は祈りを捧げる体である。 其うして、深く頭を垂れる私の前に、空から降り立ったもの。 救う手を伸べる様に、舞い降りたもの。 其れは矢張り、鳥の容であった。 私の頬を温りが伝う。 天は私を鼓舞するか。 天使達は私を祝福するか。 照らされた道、既に痛みは消えて居る。 温かな光が、私の背中を押す。 踏み出す一歩は軽く、駆け出す足は羽根と成るであろう。 私は立ち上がり、齎された祝福に感謝する。 大丈夫、痛みは消えて居る。 矢張り挫いたのは心であったのだ。 駈けるのでない、翔けるのだ。 跳ぶのでない、飛ぶのだ。 新しい己へと飛翔するのだ。 力強く頷く。大地を踏み鳴らし、壁を高く飛び越えるのだ。 新しい私に動機する、同期する、其の刹那。 私は動悸する。 身を竦ませて、立ち止まる。 確かに、確かに私を祝福した筈の、天使達が口を開いたのだ。 小さく音を鳴らす。口々に囀る。 神をみたものはいない。 さんざめく、残忍な音詩。 神をみたものはいない。 堕落せよと、私に囁く。 啄む様に、空虚な私を導く其の嘴は、何と祝福ではなく、然と哄笑で有ったのだ。 罪を重ねよと私を惑わす、悪魔のもので有ったのだ。 遠く、塵を漁る烏が在る。 艶の在る漆黒が、危うげに揺れる私に気付き此方を向く。 警戒する。 私が其方へ向かうかを試している。 きっと私の信仰を疑っているのだ。 嗚呼、御前は本来、堕落の使徒で在ったろう。 闇色の御前が、夜に睡るなどと、可笑しな事だ。暁を背負う私を見据えるなど、可笑しな事なのだ。 何故だ、其の射抜く様な鋭い視線に私は眼を逸らす。誘惑に抗えず、翔け出さぬ私を恥じて居るのか。 嗚呼、其の軽蔑に、もっと鈍感で在ったなら。 嗚呼、私は莫迦に成りたい。 其の侮蔑に気が付かなければ、私は新たなる一歩に、耀ける道へと走り出せていたのだ。 嗚呼、私は莫迦に成りたい。 鋭敏で在るが故、私は竦んで居るのだ。 感性の在るが故、私は竦んで居るのだ。 私が嘲笑に甘んじる道化師で在ったら。 廻る此の星を上手に歩ける莫迦で在ったなら。 厚顔無恥に下びた嗤いを造る、其の仮面を被ることが出来たなら。 しかし、と、思考は巡る。 賢者は己の無知を恥じ口を噤む。 愚者は己の無知に気付く事は無いのだから。 ならば、人間は皆、仮面を被る道化であるのだ。 沈黙を以て、芸を為す。 推し黙る、推し黙る。 如何しようもなく重力に縛られた、哀しき玉乗りなのだ。 6000粁半径の球体に踊る、不自由な仮面舞踏会。 愉快に戯けて這い回る、憐れなオゥトマトン。決められた舞台を繰り返すだけの、惨めな毎毎事。 斯くして、私も道化で在りました。 斯くして、私も道化で在りました。 諦念し嘆息し、急ぎ安らぎの象徴へ。 安寧な巣穴へと。 なんか今日ちょっと寒いし。 明日から本気出すし。
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