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その後も詩人は夜通し酒場を巡り歩き、ウェリックス公爵の罪を語り続けた。だが、世間へ顔を出すことを嫌うウェリックス公爵の人物像について、よく知る者はいなかった。それゆえに、彼は罪を犯す人ではないと擁護する人もまたいなかったのである。
日の出が見え始めたところで、詩人は楽器を抱きかかえながら路上で倒れるように座り込んだ。ここはスベーニュの街中であり、朝の活動を始めた女性たちが外の花壇へ水をやりに姿を見せ始めた。
そして、シトールを抱えるみすぼらしい男の姿を見て、数人が寄ってきた。
「ちょっと、大丈夫!?」
「しっかりするんだよ……!」
人々の親切な声が聞こえ始めたところで、
「オベールさん……!」
そう呼ぶロディールの声が耳に入り込んだ。『オベール』は、作戦決行の際に取り決めたレオンスの呼び名である。
ロディールは自らの右上半身を少し庇いながら、左腕をレオンスの背に回して身体を起こした。
レオンスは薄っすらと開けた片目で周囲を見ると、早朝にもかかわらず人々が何事かと集まり始めていた。
レオンスは態勢を起こしてその場に座り込み、何もない石畳の地面を片目で睨みつけた。
「……人殺しのウェリックス公爵が、罪のない人間を再び罪人に仕立て上げようとしている。そんなこと、許されていいはずがない。決して許してはならない。私たちは一体どうすれば救うことができるのだ?」
辺りは騒然となり、数多の純粋な驚きが聞こえた。ウェリックス公爵の姿をまともに見たことのない街の人々は、互いに首を傾げながら顔を見合わせている。
レオンスは人々の反応を注意深く観察していた。公爵を擁護するのか、それとも逆か――。
ロディールは眉を寄せながら、レオンスを見下ろしていた。どこか不安な感情が見え隠れした表情をしている。
レオンスは変わらず話の続きを始めた。独り言のようでありながら、誰かに語りかけるその口調は、人々の視線を集めるには十分だった。
「……ウェリックス公爵は芸術、とりわけ音楽に強い関心を持っている。しかし、自分の望むものが手に入らなければ、他人に罪をなすりつけ、他人の人生を壊し、全てをめちゃくちゃにしても、自分の望む方向へと持っていこうと考える人間だ」
この言葉に嘘は一切なかった。真実を知る人間が本音で話せば、聞いている人間に強い衝撃を与えることができる。最初は狂気じみた発言だと思われていたとしても、気がつけば次第にそれが真実のように思えてくるのだ。
「弱き者は排除されなければならないのか? ――そんな考えは間違っている。私の考えがおかしいのだろうか?」
レオンスは自分を取り囲む大衆に問いかけた。極めつけにロディールの顔をじっと見る。
「私は間違っていると思うか?」
ロディールは困惑した顔をしていたが、彼がどんな考えを持つのか、レオンスは純粋に興味もあった。
ロディールはやや緊張した面持ちで答えた。
「……間違っていません。不平等というものが存在することを否定はしませんが、排除されていい人なんていない。その差を広げてはいけないと思います。人殺しなんて言語道断です」
そこまで言いきったかと思うと、ロディールは一度言葉を止めて、どこか弱気にレオンスを見た。レオンスは「続けて」と促す。
「……ウェリックス公爵が真の音楽好きなのかは、俺には分かりかねます。本当に音楽を愛している人間を、自分の権力の道具として利用しようとする人間です。……俺は、それが許せません」
これがロディールの真意なのだろう。
不意に人々が声を上げ始めた。
「私にできることなら協力するよ」
「何をすればいい? 人を救いたいんだろう?」
レオンスはぐるりと周囲を見回した。人々の視線がレオンスに応答するように真っ直ぐ向けられている。
「私からお願いしたいことは二つです。一つ目は、今日の日没前にウェリックス公爵が広場で罪の告示を始めても、決して注目しないでいただきたい。現場に集まる私の仲間が演奏会を行うので、そっちに目を向けてほしい。……そして二つ目は、今話した事実と一つ目のお願いをできるだけ多くの人に伝えてほしい」
人々が顔を見合わせながら頷いていた。
「それなら、お安い御用だよ」
「公爵なんて、私たちにとっては存在すら疑う男だもの」
レオンスは口元にわずかな笑みを浮かべた。
横に立つロディールを見上げると、彼は安堵した表情で胸に左手を当てていた。
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